自己改造の試み――金閣寺とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 自己改造の試み――金閣寺の意味・解説 

自己改造の試み――金閣寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)

三島由紀夫」の記事における「自己改造の試み――金閣寺」の解説

1955年昭和30年1月奥只見ダム須田貝ダム背景にした「沈める滝」を『中央公論』に連載開始同月には、少年時代神風待望心理とその〈奇蹟到来〉の挫折感重ね合わせた「海と夕焼」も『群像』に発表したが、三島の〈一生を貫く主題〉、〈切実な問題秘めた〉この作品への反応論評はなかった。三島は、もし当時この主題理解されていればそれ以降自分生き方変っていたかもしれないと、のちに語っている。 同年9月三島は、週刊読売グラビア取り上げられていた玉利齊(早稲田大学バーベルクラブ主将)の写真と、「誰でもこんな身体になれる」というコメント惹かれ、早速、編集部電話をかけて玉利を紹介してもらった。玉利が胸の筋肉ピクピク動かすのに驚いた三島は、さっそく自宅に玉利を招いて3回ボディビル練習始めたこの頃映画『ゴジラの逆襲』公開されて観ていたが、三島自身を〈ゴジラの卵〉と喩えた。 同年11月京都取材行き青年僧による金閣寺放火事件1950年)を題材にした次回作の執筆取りかかった三島は、『仮面の告白』から取り入れていた森鷗外的な硬質文体をさらに鍛え上げ、「肉体改造のみならず文体練磨し〈自己改造〉を行なった。その双方磨き上げ昇華した文体駆使した金閣寺」は、1956年昭和31年1月から『新潮』に連載開始された。 同月には、後楽園ジムのボディビル・コーチ鈴木智雄(元海兵の体操教官)に出会い弟子入りし3月頃に鈴木自由が丘開いたボディビルジムに通うことになった三島自由が丘で知り合った町内会の人に誘われ8月には熊野神社夏祭りで、生まれて初め神輿をかつぎ陶酔感味わった。 元々痩身虚弱体質三島であったが、弛まぬ鍛錬でのちに知られるほどの偉容備えた体格となり、胃弱治っていった。最初10キロしか挙げられなかったベンチプレスも、約2年後有楽町産経ボディビルクラブに練習場所を変えた頃には60キロ挙上するまでに至りその後胸囲も1メートル超え生涯ボディビル継続されていくことになる。 1月からの連載終り10月に『金閣寺』が新潮社から刊行された。傑作呼び声高い作品として多数評論家から高評価受けた金閣寺』は三島文学象徴する代表作となり、第8回読売文学賞受賞したそれまで三島懐疑的だった評者からも認められ三島文壇寵児となったまた、この年には、「日本空飛ぶ円盤研究会」に入会し7月末の熱海ホテル滞在中に円盤観測挑戦した9月には、鈴木智雄の紹介で、日大拳闘部の好意により、小島智雄監督の下、ボクシング練習始めた。翌1957年昭和32年5月小島智雄スパーリング相手練習行っている三島を、前年対談知り合った石原慎太郎訪ね8ミリ撮影した。 これを観た三島は、〈石原慎太郎の八ミリシネにとつてもらひましたが、それをみていかに主観と客観には相違があるものかと非常に驚き目下自信喪失の状態にあります〉と記し以後ボクシングもっぱら観戦方に回りスポーツ新聞多く観戦記寄稿することになった。 この時期三島は、『金閣寺』のほかにも、『永すぎた春』や『美徳のよろめき』などのベストセラー作品発表し、そのタイトル流行語になった川端康成論じた永遠旅人』も好評博し戯曲でも『白蟻の巣』が第2回岸田演劇賞受賞人気戯曲鹿鳴館』も発表されるなど、旺盛な活動見せ戯曲集近代能楽集』(「邯鄲」「綾の鼓」「卒塔婆小町」「葵上」「班女」を所収)も刊行された。 私生活でも、夏には軽井沢に出かけ、ホテル泊まって原稿を書くほどの身分になり、乗馬クラブ通って避暑やってくる人々颯爽たる乗馬姿を披露して見せた三島乗馬姿は大い注目され、その年の新聞・雑誌彼の英姿飾られることになった。また軽井沢では上流階級の子息・令嬢夫人によるパーティー開かれており、三島はそれらに顔を出して吉田健一岸田今日子兼高かおる鹿島三枝子鹿島守之助三女)、以前からの知り合い『鏡子の家』モデルとなる湯浅あつ子などと交遊した。さらに1954年昭和29年)夏には、中村歌右衛門楽屋豊田貞子赤坂料亭娘。沈める滝』『橋づくし』のモデル)と知り合い、深い交際発展した。それは三島生涯において最も豊かな成功輝いていた時期であったが、結局貞子とは破局し、1957年昭和32年5月新派公演金閣寺』を観た日を最後に別離した。 花嫁候補探していた三島が、歌舞伎座隣り合わせになる形で会い銀座六丁目小料理屋井上」の2階で、独身時代正田美智子お見合いをしたとされるのも、1957年昭和32年)頃である。なお同年3月15日正田美智子首席卒業した聖心女子大学卒業式三島は母と共に参観していたという。

※この「自己改造の試み――金閣寺」の解説は、「三島由紀夫」の解説の一部です。
「自己改造の試み――金閣寺」を含む「三島由紀夫」の記事については、「三島由紀夫」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「自己改造の試み――金閣寺」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  自己改造の試み――金閣寺のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「自己改造の試み――金閣寺」の関連用語

自己改造の試み――金閣寺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



自己改造の試み――金閣寺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの三島由紀夫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS