絹本著色日吉山王宮曼荼羅図とは? わかりやすく解説

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絹本著色日吉山王宮曼荼羅図

主名称: 絹本著色日吉山王宮曼荼羅図
指定番号 2009
枝番 0
指定年月日 2004.06.08(平成16.06.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書
員数 1幅
時代区分 南北朝
年代
検索年代
解説文:  本図は、日吉山王社の神体山である八王子山中央大きく表し、その麓に展開する各社殿を、背後には琵琶湖から雪を戴く比良山系に至る広い景観俯瞰構図により描いたのである画面上方には日吉山王二十一社本地仏および祭神画像を、本地仏種字本地仏名、社名とともに整然と並べて表す。その配置概ね七社中央に、その左右に七社、さらにその外側左右に七社配するのである
 日吉山王信仰曼荼羅は、これまでに七件が重要文化財指定されているが、滋賀延暦寺本、島根鰐淵寺本、滋賀西教寺本、滋賀浄厳院本は本地仏像または神像左右相称基本構図基づいて整然と配するもの、東京霊雲寺本、滋賀百済寺本は自然景のなかに本地仏像あるいは神像配するのである。これに対して自然景と社殿を描く宮曼荼羅形式作品として最も制作期の古い奈良・大和文華館本(近畿日本鉄道株式会社所有)があるが、大和文華館本は上七社のみの社殿実際配置配慮しながらも、大きく正面観で描くものである対して本図の、視点遠くとり、俯瞰構図によって神体山たる八王子山中心とする雄大な自然景を細密な描写によって表現する点は、日吉山王曼荼羅図の古い作例には稀な大きな特徴といえる基本的構図本図同じくする作品室町期制作とみられる延暦寺日吉神社社頭絵図などがあり、本図構図以後日吉山王宮曼荼羅図継承されていったことがうかがわれる
 本図には旧表背貼付紙の墨書付属しており、三度にわたる修理銘などが記されているが、最も古い「日輪院長瑜」の文安四年(一四四七)の裏書には「西塔西谷」から本図相伝されたことを述べる。この記述には干支誤りがあり、また比叡山西塔には西谷はないことから、西塔東谷もしくは東塔西谷誤り推測されるなど、当初の裏書を写した際に誤写があったと考えられるが、他の長瑜による古画修理事例からみて、比叡山いずれからかこのころ本図相伝されたという内容自体は、信憑性が高い。
 雪山山岳描写などにやや平明化が見られ本地仏祭神並べ形式垂迹曼荼羅としては整理され形式考えられる一方細部社殿描写きわめて繊細な優れたもので、鎌倉時代末期以降春日宮曼荼羅図などに共通する画風うかがわれる仏画としての本地仏祭神描写とも併せ制作期は南北朝時代下らない考えられよう。
 制作期の遡る日吉山王宮曼荼羅図のなかでは、自然景を主体とする類例少な遺例であると同時に雄大かつ細密な優れた景観描写は、やまと絵系の山水表現として貴重なのであるまた、本図は図上部神像写しとともに享保七年一七二二以前編纂された『日吉山王権現知新記』に収録されており、その時点では比叡山横川鶏頭院の厳覚が所持していたことが記される。長瑜裏書とともに比叡山において長く伝えられてきたことが知られる歴史的意義併せ貴重な作品いえよう

絹本著色日吉山王宮曼荼羅図

主名称: 絹本著色日吉山王宮曼荼羅図
指定番号 1990
枝番 0
指定年月日 2002.06.26(平成14.06.26)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書
員数 1幅
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  日吉山王宮曼荼羅図は、滋賀県日吉山王社の山王権現に対す礼拝画である。本図は、牛尾山の山頂から山麓に至る広大な日吉社風景を土坡、樹木などで表し、その中に社殿一〇宇および二層楼門二基を配する社殿山王七社と、中七社のうち三社社殿のみを正面観で布置するという特異な図様知られる宮曼荼羅である。
 社殿群の配置は、実際位置関係もとより山宮里宮の関係も考慮されており、また社格に応じて社殿大きさ変化をつけている。さらに各社殿は屋根正面向拝がつく日吉造構造正確に描き、扉内には大型御正体が、軒廻りには小型御正体多数懸かるなど、本図中世日吉社社殿状況伝え現存最古資料としての価値有している。
 日吉山王曼荼羅には、本地仏曼荼羅垂迹神曼荼羅宮曼荼羅など各種遺品がある。そのうち宮曼荼羅では、奈良国立博物館本のように俯瞰構図境内全域克明に描く作品がある一方東京霊雲寺日吉山王曼荼羅図重文)、滋賀百済寺日吉山王神像重文)のように、社殿等建築モチーフ捨象して、境内風景中に尊像点在させる作品存在する本図図様はその境界位置するものであり、森厳な社頭社殿のみを配して仏神存在神域霊威表出しようとした独自な構想は、風景主題性を担う垂迹画特質をよく示すものとして評価される
 制作年代については、強い屈曲見せ樹木形態や、樹幹大きな洞を描く表現は、これと類似する例が正安元年国宝一遍上人絵伝京都歓喜光寺神奈川清浄光寺)などに見出されるまた、丘陵懸崖複雑に組み合わせて高峻な山容表し、さらに所々金泥掃いて荘厳する手法は、鎌倉時代後期兵庫小童寺阿弥陀二十五菩薩来迎図重文)、奈良瀧上寺九品来迎図重文)などに近似した例が見られる一方御正体尊像表現には、小さな部分ではあるがやや固さ認められこうした諸点から、本図制作期は鎌倉時代一四世紀におくことができよう
 この時期は、山王神道代表的理論書である『山家要略記』が編纂された時期にあたる。本図の独自な図様は、そうした山王信仰における教説深化所産考えられ中世垂迹画多様性うかがわせる貴重な遺品である。
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絵画:  絹本著色新羅明神像  絹本著色施餓鬼図  絹本著色日吉山王宮曼荼羅図  絹本著色日吉山王宮曼荼羅図  絹本著色日吉山王曼荼羅図  絹本著色日吉山王神像  絹本著色日蓮上人像



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