第6回(1992年)FNSスーパースペシャル1億2000万人の平成教育テレビ
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「平成教育テレビ」の記事における「第6回(1992年)FNSスーパースペシャル1億2000万人の平成教育テレビ」の解説
放送時間は土曜夜7:00~日曜夜7:58。この年から1995年までの4回、日本テレビの『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』との兼ね合いで番組の終了時間が19:58までとなった。山形テレビは翌年テレビ朝日系列にネットチェンジしたため、今回がFNSの日最後の放送となった。(1997年のさくらんぼテレビの開局まで山形では放送なし)。 鹿児島テレビは1992年・1993年の2年間、『たけし・逸見の平成教育委員会』時差ネットでありながら、唯一このスペシャル番組を同時ネットしていた局である。 総合司会:北野武、逸見政孝裏番組などで逸見が出られない時間の進行はラサール石井。この時の活躍が契機となって、翌年以降の「○×王」の進行を任されるようになる。 各時間を「教科」とし、授業を行った。 メインスタジオは学校の宿直室風のセット、通常の「平成教育委員会」用のセット、さらにFNS27局の女性アナウンサーが座る「全国一斉模擬試験」の回答席セットに分かれていた。 オープニングは、宿直室のセットで逸見とたけしがトークをするところから始まり、続いて「平成教育委員会」で当時使用していた(番組開始から逸見が休養する1993年まで使用)オープニングCGをベースにした番組タイトルが流れた後に、レギュラー放送と同様の流れ(先に逸見が登場し、軽く話した後にたけしを呼びトーク、逸見の「起立!礼!よろしくお願いします」で始まる)で「平成教育委員会スペシャル」が始まる形だった。ただし、その後は通常の勉強小僧による生徒紹介ではなく逸見がスタジオで1組ずつ出席をとった。 土曜夜の『FNN NEWSCOMスペシャル』は逸見政孝と岡本夏生が司会を、アシスタントは近藤サトアナウンサーが担当。 ウッチャンナンチャン・ダウンタウンによる深夜の保健体育(司会進行はなぎら健壱)。 『北野ファンクラブ』(SPの題名は「たけしの平成ファンクラブスペシャル」)、『カルトQ』など当時の深夜番組がスペシャルで生放送。『北野ファンクラブ』はゲストに玉置浩二が来るなど華やかなものになり、最後は「Let it be」の替え歌で非常に盛り上がったエンディングとなったが、替え歌の歌詞の内容がアトピー患者を馬鹿にしているとも捉えられかねない内容であったため、後刻謝罪した。このほか、トークゲストとして山田邦子が出演した。 夜明けの一般公開模擬試験全20問出題。1問出題するたびにCMが挿入され、それが解答時間となった(視聴者はその答えを必ず全問書いてFAXで送る)。全20問正解した応募者に奨学金100万円山分け。また全20問正解以外の応募者から抽選で100人に『平成教育委員会』の本をプレゼントした。 応募総数・1910通、うち全20問正解した人は2人。よって正解者には50万円ずつ進呈された。 社会見学(全国秘湯・グルメ列島リレー中継)東海テレビの中継では、健康ランド内にある黄金風呂の紹介をしていた男性アナの陰茎が見えそうになり、たけしらから「危ない!」「あんたの純金が危ない!」と突っ込まれた。なお、スーパー銭湯内では『本番中は決して立たないで下さい 平成教育テレビ』との看板が設置されていた。 朝の大運動会 『平成教育委員会』NG名場面集 『あっぱれさんま大先生』スペシャル 宿直室のセットでうじきつよしが熟睡して、逸見をはじめ出演者陣が小声で進行し明石家さんまが登場。その後、天本英世がハリセンで2発そしてさんまもハリセン2発で起こし始まった。 日曜夕方の『FNNスーパータイムスペシャル』は逸見と岡本が司会を、スポーツ・天気予報は木幡美子アナウンサーが担当。オープニングでは逸見が担当していた当時の映像も流された。 全国一斉模擬試験 この年は各局ごとに様々なジャンルから(大学教授、医師・看護師、農業、フリーター、さらには主婦・おばあちゃんなど)20名を選出した。 この年の全国一斉公開模試の優勝局は関西テレビ。2位は富山テレビ、3位が山陰中央テレビ、最下位はテレビ熊本で、26局中25位のブービーだったのがフジテレビ。第1・第2ブロックは関西テレビの独走だったが、いったんは富山テレビにトップを譲り、最終的には再びトップとなった。 関西テレビ会場からの中継は梅田淳アナ。「たけしさん・逸見さんにむかってズームイン!」や「スタジオの関口宏さんどうぞ」などのシャレも手伝い、各局中継のなかで一際目立っていた。 福島テレビ会場からの中継は金井淳郎アナと浜中順子アナ。様々なジャンルから選出したため、金井が参加した男性に何の職業なのか尋ねると、「百姓です」と答え、スタジオ中が大爆笑に包まれた。その後、たけしが「職業を聞きましょう」と何度も弄った。なお、「百姓」は放送禁止用語だが、笑いに変えた事もあってか特にこれに関しての謝罪は無かった。 最優秀生徒は北海道大学の大学教授(北海道文化放送)。 当時解答モニターは解答用紙に局名、名前を明記しなければならなかった。翌年以降『平成教育委員会』と同様、モニターにライトペンで書くものに変わった。ただ、翌年(1993年)は局名をコンピューター表記になり、1994年には名前も同様になった。 提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは小島奈津子、福原直英、西山喜久恵の男性1人/女性2人の合計3人。 画面下の提供スーパーアニメは、勉強小僧と緑色の鉛筆が登場して、鉛筆がしなったり、勉強小僧がジャンプしたりする所で「提供」とスポンサー名の表示が1回転しながら切り替わるもの。 番組本編とは異なるが、この番組の前日に放送された『笑っていいとも!』のタモリ・さんまのトークコーナーに総合司会のたけしが参加している。BIG3の三人が『FNSの日』と正月の『世紀のゴルフマッチ』以外で集まった数少ない例である。 鹿内宏明が製作総指揮を務めたのはこの年が最後となった(2日後の産経新聞社の社内クーデターで同社会長を解任されフジテレビ会長も辞任したため)。ちなみに、『笑っていいとも!増刊号スペシャル』内のコーナーでは、「フジサンケイグループ議長杯争奪!出世リズムゲーム」と題したコーナーが放送されている。 エンディングではクラッカーと紙テープと紙吹雪が舞う中でのエンディングとなった。この年から1994年までエンディング曲は服部克久の「卒業」に変わった。 瞬間最高視聴率はFNSの日史上最高となる38.3%を記録。この記録は2015年現在も破られていない。
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