秋山監督時代
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「福岡ソフトバンクホークス」の記事における「秋山監督時代」の解説
2009年 交流戦序盤の6連勝などで、6月16日に2年連続での交流戦優勝を決め、20日に横浜に勝ち、初の交流戦全球団勝ち越しての優勝を達成した。7月には一時首位に立つが、後半になると6カード連続負け越しを喫し、10月2日に対パ・リーグ戦での負け越しが確定し、シーズン3位となった。クライマックスシリーズは第1ステージで楽天に0勝2敗で敗退した。攝津正が新人王を獲得。 2010年 攝津、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩、甲藤啓介の「SBM48」や森福允彦などの救援投手陣が活躍して12球団トップとなる救援防御率2.84(唯一の2点台)を記録した。杉内・和田以外は不振だった先発投手陣を中継ぎ陣が支えた。チーム奪三振数が2005年に阪神が記録したプロ野球記録である1208を、1244で更新した。9月25日にマジック対象チームの西武が日本ハムに敗れたため優勝が決定した。しかし、クライマックスシリーズでは打率1割6分9厘0本塁打と打撃陣が振るわず、ファイナルステージで3勝4敗で3位のロッテに敗れた。クライマックスシリーズは2006年までのプレーオフと異なり結果にかかわらず公式戦の最高勝率チームが優勝となるため、7年ぶり、ソフトバンクとなって初のリーグ優勝となったが、2004年・2005年に続き、日本シリーズ進出は逃した。リーグ優勝チームが日本シリーズ進出を逃すのはパ・リーグでは初、両リーグ全体では2007年の巨人に次ぐ2例目。MVPは和田毅が受賞。ドラフトで柳田悠岐、育成ドラフトで千賀滉大、牧原大成、甲斐拓也を指名した。特に千賀と甲斐は日本を代表する選手に成長し、後に育成ドラフトで大量の選手を指名する方針へと転換する契機となった。オフに巨人に所属していた大道典良が現役を引退した。大道の引退により、南海ホークスに所属した選手が全員引退した。横浜からFA宣言した内川聖一、西武からFA宣言した細川亨、オリックスを自由契約となったアレックス・カブレラを獲得。 2011年 交流戦が始まってから首位に立ち、交流戦を過去最高の18勝4敗1分けの成績で優勝、内川が交流戦MVPを獲得した。9月17日にマジックナンバー17が点灯、10月1日の西武戦で2年連続のリーグ優勝を決める。88勝46敗10分、2位日本ハムと17.5ゲーム差の大差で公式戦を終えた。史上初となる11球団すべてに勝ち越し、月間成績でも一度も負け越さなかった。内川はMVP・首位打者(両リーグでは2人目)を獲得。クライマックスシリーズファイナルステージでは西武を相手に3連勝し4勝0敗として、2004年に現行のプレーオフ制度が始まって以来、7度目にして初の日本シリーズ出場となった。中日との日本シリーズでは第6戦までお互いにホームで負け、ビジターで勝つという展開で3勝3敗としたが、第7戦に3-0で勝利し、8年ぶりの日本一となった。台湾で開催されたアジアシリーズでは韓国の三星ライオンズに決勝で敗れている。オフに自由契約となったホールトンが巨人に移籍。杉内が巨人、和田がボルチモア・オリオールズ、川﨑がシアトル・マリナーズにFA移籍。西武からFA宣言した帆足和幸を獲得。 2012年 3月24日、ソフトバンク本社が福岡ドームをシンガポール政府投資公社(GIC)から870億円で買収することが報道される。開幕戦の3月30日の対オリックス戦(福岡ドーム)に3対1で勝利すると、10試合で8勝2敗と首位に立つ。5月9日、ブラッド・ペニーが右肩故障から1試合の登板で退団する。交流戦では8連敗と低迷し8勝13敗3分の11位で終わる。前半戦を16年ぶりの借金を抱えたまま、3位で折り返す。後半戦では8月22日に7連勝で首位日本ハムと1.5ゲーム差とする。一時は4位に後退するものの、終盤は楽天、ロッテとクライマックスシリーズ進出を争い、10月4日に楽天が西武に敗れたため、クライマックスシリーズ進出を決めた。最終的に67勝65敗、首位から6.5ゲーム差の3位。チーム防御率は2年連続リーグトップだったが、打撃陣は得点5位、得点圏打率最下位と低迷した。クライマックスシリーズファーストステージでは西武と対戦し2勝1敗で勝ちあがるが、続くファイナルステージで日本ハムと対戦、3連敗で敗れた。二軍はウエスタンリーグで4年ぶりに優勝している。小久保裕紀が現役を引退した。攝津正が最優秀投手・最多勝利投手・沢村栄治賞、内川聖一が最多安打を獲得。8勝を挙げた武田翔太が特別表彰(優秀新人賞)を受賞。ドラフトでは亜大の東浜巨を1位指名、西武・DeNAとの競合の末に獲得。オフにDeNAから多村仁志、吉川輝昭、神内靖との3対3トレードで吉村裕基、江尻慎太郎、山本省吾、MLB・ヤンキースを自由契約となった五十嵐亮太を獲得。オリックスからFA宣言した寺原隼人が7年ぶりに復帰。FAで復帰した寺原の人的補償として馬原孝浩がオリックスに移籍。 2013年 充実した戦力で優勝候補筆頭とも言われながら、外国人選手が投打にわたって軒並み振るわず、先発投手不足にも悩まされるなど苦戦。2年ぶり4度目のセ・パ交流戦優勝こそ達成したものの、交流戦終了後は攝津が登板する試合以外勝てないなど不調が続き、7月24日には最下位に転落。一方、7月31日に斉藤和巳が現役への復帰を断念し、退団した。西武ドームで西武に同一カード3連勝した8月15日に西武を抜き、3位に浮上して以降はAクラスを維持、9月18日に勝利した時点でロッテを抜き2位浮上、4位の西武と5ゲーム差まで開いたにもかかわらず、19日以降の残り14試合で5勝9敗とズルズル後退し、終盤の西武ドームでの直接対決で連敗した10月3日には直前10試合で8勝2敗の好成績を挙げた西武に逆転され、ゲーム差なしの4位に転落し、5日にはシーズン最終戦となる対日本ハム戦に勝利し連敗を3で止めるも、この試合後に西武が対楽天戦に勝利したことでソフトバンクの4位が確定し、クライマックスシリーズ進出の可能性がなくなった。長谷川がホークスの外野手としては1955年の飯田徳治以来58シーズンぶりとなる全試合フルイニング出場、かつパ・リーグ歴代3位のシーズン198安打を放ち首位打者と最多安打のタイトルを獲得するなど活躍し、チームの総得点660総失点562、得失点差98というリーグトップクラスの成績を残しながらも、王監督時代最終年の2008年以来5年ぶり、秋山監督が指揮をとってからは初のBクラスとなった。なお、二軍は2年連続の優勝と5年ぶりの日本一を決めている。オフにMLB・アスレチックスを自由契約となった岡島秀樹が1年ぶり、阪神を退団したジェイソン・スタンリッジが6年ぶりに復帰。他球団からFA宣言した鶴岡慎也、中田賢一、他球団を退団したデニス・サファテ、ブライアン・ウルフ、李大浩を獲得。山崎勝己がオリックスにFA移籍。ウィリー・モー・ペーニャがオリックス、ブライアン・ファルケンボーグが楽天に移籍。 2014年 李大浩が4番に定着。内川聖一、柳田悠岐、長谷川勇也や前年初めて規定打席に到達して打率3割をマークした中村晃、不動の遊撃手となった今宮健太がレギュラーとしてチームを牽引し。交流戦では首位で迎えた最終戦で、2位の巨人との直接対決に敗れ、2位に終わる。9月6日の対西武戦(ヤフオクドーム)に6対2で勝利し、12球団で最初のクライマックスシリーズ進出を決めたが、その後は最後までオリックスとの激しい優勝争いとなり、一時は残り試合数の関係で2位のオリックスに優勝へのマジックナンバーが点灯し、逆にソフトバンクは9月17日から1勝9敗で最後までマジックナンバーが点灯せず、迎えたシーズン最終戦のヤフオクドームでのオリックスとの直接対決で、延長10回裏に松田宣浩のサヨナラ打で3年ぶり通算18度目のリーグ優勝を達成した。マジックナンバーが点灯せずに優勝したのは1992年のヤクルト以来22年ぶりで、シーズン最終戦での優勝決定はNPB史上8度目、最終戦でのサヨナラ勝利による優勝決定はNPB史上初となった。また、シーズン観客動員を246万8442人として実数に近い発表となった2005年以降の球団記録を更新。10月14日に監督の秋山幸二の今季限りでの監督退任が発表された。日本ハムとのCSファイナルステージ(ヤフオクドーム)はアドバンテージの1勝を含む4勝3敗で勝利し、3年ぶり日本シリーズ進出、阪神との日本シリーズでは4勝1敗で3年ぶりに日本一となった。11月1日、次期監督は工藤公康が就任すると発表された。オフにニューヨーク・メッツから松坂大輔を獲得。
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