秋山準の時代
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「グローバル・ハードコア・クラウン」の記事における「秋山準の時代」の解説
タイトル創設と同時に、創設者の秋山準が方向性を示す意味で初代王者に就く。初防衛戦の相手には前年のシングルマッチで敗れていた佐野巧真を指名し、2004年4月18日に博多スターレーンで実施。秋山が因縁を清算する形で勝利を収め、初防衛に成功した。 ただ、当初は試合決着のルールを巡って双方の意見が合わず、試合開催が危ぶまれる一幕もあった。3カウントによる決着を主張する秋山に対し(自分が前年この形で敗れているため)、佐野はKOやロストポイント制の採用を固持。埒の明かない状況を見かねた最高顧問の三沢光晴の判断により、秋山は3カウントを奪った場合のみ勝利、佐野はギブアップもしくはKOを奪った場合のみ勝利という方式に落ち着いた。 その結果、秋山は小橋や三沢を失神させたこともあるフロントネックロックを繰り出すも、『3カウントのみで勝利』というルールにより、レフェリーは佐野に「ギブアップ?」と聞かなかったり、一方で、佐野は決め技として使うことの多いノーザンライトボムを放つも、『KOまたはギブアップのみで勝利』により、フォールしてもカウントされないといったシーンが見られた。 2度目の防衛戦は、秋山が自ら命名したノア・ヘルスクラブ(川畑輝鎮、泉田純、井上雅央)と対戦。しかし、挑戦者1人を1度の防衛とカウントせず、3連戦に全て勝利して初めて1回の防衛とする形を採用。これは秋山が彼ら三人を「ノア2軍」としていたためである。ヘルスクラブの3人はそれぞれ奮起するも、秋山の牙城を崩すことが出来ず、2度目の防衛に成功した。それぞれに勝った時は、「1と1/3回の防衛」のように呼ばれていた。
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