研究・分析
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研究者のエリザベス・ソロポワによれば、セオデンの人物像は、戦いによる死が迫っていることを知った主人公が見せる不退転の決意という、北欧神話、特にベーオウルフの叙事詩における勇気の概念に触発されたものである。これは、ペレンノール野の合戦で圧倒的に有力なサウロンの軍勢と対決するというセオデンの決意に反映されている。トールキンは、6世紀の歴史家ヨルダネスによるカタラウヌムの戦いの歴史的記述についても繰り返し言及した。いずれの戦いも「東」(フン族)と「西」(ローマ人とその同盟国である西ゴート族)の文化の間で行われ、ヨルダネス同様、トールキンもこの戦いを幾世代にも及ぶ伝説的な名声の1つであると表現している。もう1つの明らかな類似点は、カタラウヌム平原における西ゴート王テオドリック1世の死と、ペレンノール野におけるセオデンの死である。ヨルダネスは、テオドリックは乗馬から振り落とされ、突撃する配下の兵たちによって踏みにじられて死んだと記録している。セオデンもまた、斃れる直前に自らのもとに部下を集結させたが、落馬して愛馬の下敷きとなった。そしてテオドリック同様、戦いがなお続くなか、セオデンは主君のために涙し歌う王の騎士たちの手で戦場から運びだされた。 エリザベス・ソロポワによるセオデンとテオドリックの比較状況セオデンテオドリック最後の戦い ペレンノール野の合戦 カタラウヌムの戦い 交戦勢力「西」対「東」 ローハン、ゴンドール対モルドール、東夷 ローマ人、西ゴート族対フン族 死因 馬から投げだされ、下敷きになる 馬から投げ出され、突撃する自軍に踏みにじられる 哀悼 配下の騎士により、歌と涙とともに戦場から運びだされる ジェーン・チャンスのようなトールキン研究者は、セオデンを作中の別の「ゲルマン的な王」であるゴンドール最後の統治権を持つ執政デネソールと対比させる。チャンスの見解では、セオデンは善、デネソールは悪を表す。彼女は、彼らの名前はほぼアナグラムであり、セオデンがホビットのメリーによる奉仕を親愛ある友情をもって受け入れるのに対し、デネソールはメリーの友人ペレグリン・トゥックを厳粛な忠誠の契約によって遇するとする。 ヒラリー・ウィンはThe J. R. R. Tolkien Encyclopediaにおいて、セオデンとデネソールはともに絶望するものの、ガンダルフによって「更生せる」セオデンはヘルム峡谷での絶望的な戦いに勝利し、ペレンノール野の合戦で「彼の攻撃がミナス・ティリスの街を略奪と破壊から救った」と書いている。 多くの学者は、最後の戦いに進むセオデンの姿をたとえた「この世界がまだ若かった頃のヴァラールの合戦における偉大な狩人オロメとさえも見える」という表現を賞賛する。 スティーブ・ウォーカーはこの文を「奥深さにおいてほとんど叙事詩的」と表現し、文面の裏に「目に見えない複雑さ」すなわち中つ国の神話体系全体を示唆することで読者の想像力を誘うものだと評している。フレミング・ラトリッジは、それを神話やサガの文体の模倣であり、マラキ書4:1-3にみられるメシア預言の反映だとする。ジェイソン・フィッシャーは、ローハン全軍の角笛の響き、オロメ、夜明け、そしてロヒアリムを結びつける作中当該の一節を、「ベーオウルフ」の第2941-2944行におけるaer daege(「日の上る前」すなわち「夜明け」)およびHygelaces horn ond byman(「ヒイェラークの角笛と喇叭」)と比較する。 ピーター・クリーフトは、「セオデンが戦士に変わった歓びに心を躍らせずにはいられない」としつつも、人々が「祖国のための死は甘美である(dulce et decorum est pro patria mori)」という古いローマ人の観点に到達するのは難しい、とも書いている。 トールキン研究者トム・シッピーは、ローハンはアングロ・サクソン時代のイングランドへ直接に適応されており、単に人物名や地名、言語のみならず、多くの特徴を「ベーオウルフ」から取り入れているとする。彼によれば、トールキンによるセオデンの追悼歌は、古英語叙事詩「ベーオウルフ」の結末の葬送歌の同等かつ密接な反映である。セオデンの勇士と門番たちは「ベーオウルフ」の登場人物のように振る舞って「ただ命に従ったのみ」と言うのではなく、自らの決意のもとで行動する。セオデンは北方の勇気の法則のもとで生き、デネソールの絶望が原因で死に至る。
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研究分析
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日本では1990年代のやおい・BL文化の拡大と共に研究が始まった。初期は精神分析学を基本とした言説が中心で、「なぜ女性が男性同性愛を描いた作品を読むのか」が議論されてきた。フェミニズムやジェンダー論の観点から語られることも多かった。こうした精神分析的な研究に対する疑念や研究の新しい展望が探求されるようになり、近年では「どのようにやおい・BLジャンルを楽しむか」に研究の焦点が移っている。研究の中心はファン研究が占めるようになり、多様化する腐女子・腐男子によってどのようにやおい・BLが受容され、使用されているのかを論じることで、研究は活発化している。日本では評論・解説書の出版は盛んになっており、2006年ごろから2000年代末にかけてボーイズラブの包括的解説書の出版が増えた。2015年にはBL評論本の出版ブームが起きている。海外のやおい・BLジャンルの研究でも、ファン活動、ファンとしてのアイデンティティの構築、ファン・コミュニティの構成などが研究されている。 日本では、やおい・BLファンの大半が「異性愛者の女性」であるというのが通説であるが、近年は腐男子など異性愛女性以外のやおい・BLファンの研究も進んでいる。 2015年時点では、日本の研究者が海外の研究を参照し、海外の状況を把握したうえで論を多文化的に展開することは非常に少なく、日本と海外の研究者の間での越境対話はあまりなされていない。
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