猟銃としての村田銃とは? わかりやすく解説

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猟銃としての村田銃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 14:48 UTC 版)

村田銃」の記事における「猟銃としての村田銃」の解説

村田銃猟銃としての歩みは、1881年明治14年)に松屋兼次郎が村田経芳指導の元で火縄銃銃身村田機関部取り付けた元込め散弾銃開発したことに始まる。 旧式化した十三年式十八年式村田銃一部は、軍の収益事業一環として着剣装置銃身内のライフリング銃身長の半分まで削り取られ散弾銃改造されてから民間払い下げられ軍用銃としてよりも長い期間を猟銃として活躍した村田銃散弾銃への改造東京砲兵工廠小銃製造所担当し、この時に11mm村田弾をベースにした30番真鍮薬莢工廠薬莢製造施設流用する形で製造始められた。 「村田銃」の名前は、始め払い下げられ軍用ライフル銃や、それを改造して散弾銃とした物を指していたが、後に村田経芳村田銃パテント民間広く販売したことにより、多く民間銃器メーカーや銃職人により軍用村田銃機構模した散弾銃作られることとなった最初はそれらの散弾銃村田式散弾銃呼ばれていたが、次第に本来の村田銃ではない同形式の猟銃もすべて「村田銃」と呼ばれるようになったのである。なお、村田銃払い下げ始まった明治10年代当時は、2018年現在日本銃器行政上の分類である「ライフル」と「散弾銃」と呼ばれる区分はまだ存在せず洋式若しくは和式の「軍用銃」及び「猟銃」という区分のみが存在していた。日本銃器行政史上「ライフル」呼ばれる区分初め登場するのは昭和46年の事である為、当時文書資料上は村田式散弾銃ではなく村田猟銃の名称の方がより一般的に使われていた事には留意されたい現存する銃器メーカーではミロク猟銃販売元であった川口屋銃砲店(KFC)などが各種村田猟銃製造販売行っていた。明治期著名な製造元には、横浜金丸謙次郎が興した金丸銃砲店、金丸の元で修行積み明治14年独立した十文字信介東京川口亀吉興した川口屋(KFC前身)、後年本邦屈指の水平二連名工謳われた名和仁三郞輩出した岡本光長の岡本銃砲店、後のモリタ宮田工業創業者でもある宮田栄助などが存在しており、明治20年頃には民間村田銃製造業者国内に14軒ほどが存在していた。大正から昭和初期掛けて水平二連ハンドメイド名を馳せた日本人銃工達は、これらの民間業者東京砲兵工廠での軍用銃作り技術磨いたという。 村田式散弾銃用いられる真鍮薬莢は、まず最初に前述通り帝国陸軍造兵廠にて11mm村田薬莢改造30番薬莢作られ始めその後1919年(大正8年)に児島富雄建議により、陸軍造兵廠より真鍮及び紙製散弾薬莢製造機一切払い下げを受ける形で帝国薬莢製造株式会社(TYK)が設立され1945年(昭和20年)の日本の敗戦まで供給が行われた。黒色火薬村田単発銃用いられていた板橋火薬工廠のものが民間払い下げられる形で販売され1924年(大正13年)には日本化薬民間初めて猟用黒色火薬参入板橋火薬廠や岩鼻火薬廠製の黒色火薬並び戦前狩猟家の間で広く普及したこうした戦前日本政府帝国陸軍振興策後押しとなり、当時富裕層しか買うことのできなかった英国水平二連銃ブローニング・オート5比較して村田銃価格格段に安く設定され単発式ながらもそれまで民間主流であった火縄銃や、戊辰戦争期旧幕府軍や日本諸藩導入して明治政府により鹵獲没収され後年村田銃作りにも携わった前述鉄砲商を通じて民間放出されゲベール銃エンフィールド銃などのマスケット銃よりも圧倒的に次弾発射まで時間短縮されることから、村田式散弾銃庶民猟銃として戦後に至るまで広く親しまれた。昭和30年代JIS散弾銃関連した規格制定したが、この時に試験銃として採用されたのも村田式散弾銃であった形式には大きく分けて5種類あり、 軍用村田銃改造し28/30/36番径とした物 村田経芳設立した村田製作所株式会社 村田製作所とは無関係)により、民間向け軍用村田銃構造踏襲する形で最初から8番-40番散弾銃として制作された物 民間銃器職人工場にてライセンス製造された物 火縄銃銃身末端村田式のボルト後付けする事で後装式改造された物 十三年式村田銃以前陸軍導入され洋式銃が村田式のボルト取り付けて改造され、後に払い下げられた物 が存在した。しかし、これらは「古式銃」としては取り扱われず、現行の散弾銃として所持許可登録を行う必要がある。 この時期ライセンス生産品で特筆値するものは金丸銃砲店が製造した村田式散弾銃で、他の製造業者十三年式十八年式準じて撃鉄ばねに松葉バネ使用する中、金丸銃砲店は二十二年式村田連発銃参考としコイルスプリング用いた槓桿採用していた。更に金丸は、明治34年頃にはスプリング村田銃更なる改良加え同時期のレミントン M8参考にしたとみられる後年二式テラ銃のように銃身テイクダウン英語版)可能とした新式取放自在村田式銃を発売する至った戦後新式猟銃普及したことにより村田銃用いられることはほとんどなくなったが、老猟師マタギ象徴するアイテムとして今日でもフィクション中に登場することがある。 なお、村田式散弾銃口径が8番、10番12番16番20番24番28番30番36番40番410番7.6mm76番)まで幅広い種類存在するが、十三年式十八年式軍用ライフル銃由来とする村田散弾銃は28/30/36番などの比較小口径の物が多い。民間製造品中には12番20番などの大口径銃も存在するが、村田散弾銃全て現行規格の12GA/20GAとは異なサイズ専用規格真鍮薬莢黒色火薬や「送り」と呼ばれるフェルト製ワッズでハンドロードして使用するため、現在の紙またはプラスチックケース装弾装填して撃つことは原則として不可能である。 その専用真鍮薬莢弾頭類も、1990年代初頭頃には旭精機工業(AOA)や日邦工業(NPK)などの国産メーカー品製造中止されたことや、火縄銃などと異なり古式銃」にも相当しない現行狩猟銃」のため、所持許可などの入手要件厳しいこともあり、近年では村田式散弾銃実射を行うことは、ある意味火縄銃よりも難しくなりつつあるのが現状である。

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