着剣装置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 10:10 UTC 版)
九六式軽機は、軽機としては珍しく銃身下に銃剣の着剣装置を持つ。着剣の際には、ガスバルブの頭部に銃剣の鍔、ガス筒先端下面の梁部に銃剣の駐梁溝部をそれぞれ装着する。この特徴は同じく着剣装置を持つ九九式軽機と同様にたびたび論争の的になっている。 着剣装置が設計に追加された時期は現時点で定かではないが、1937年(昭和12年)の改正歩兵操典草案が編纂される経緯を追っていくと、おそらくは1935~1936年前後であると見られる。これ以前の1928年(昭和3年)の歩兵操典では、軽機は専門の独立した分隊を編成し、小隊内の他の小銃分隊の火力支援を行う編制を採っている。従って、この配備運用方式に基づいていた1932年の開発当初段階では軽三脚架での使用が主であると考えられていた。当然、最初の要求仕様や開発経緯に着剣装置の文言は出ていない。むしろ歩兵用には肩付銃床は不要(騎兵用には必要)であるとまでされており、実際に九六式軽機が完成した姿とはかなりの隔たりがある。いわばアメリカ軍のM1919機関銃と類似するような形状が要求されており、満洲事変以降の実戦をまだ経験していない、この時点での陸軍の軽機運用の方針は未だ固まったものとはなっていない様子が窺える。 これが1937年歩兵操典草案になると軽機は小銃分隊に編合配備され、一般によく知られている軽機運用法に進化し、小隊内の第1~3分隊に1挺ずつの装備が定数となった。ここに至り、軽機は従来と異なり小銃手と全く行動を共にしなければならなくなった。 つまり、確固とした技術上や用兵上の理由があって追加したわけではなく、「もしかしたら使うかもしれないから、大した手間でもないし取り敢えず付けてみた」という程度のものだったという可能性もある。だからこそ、制式制定審査経緯にも着剣装置の追加に関する記述がないとも考えられる。 なお、「銃剣を付けた状態だと命中精度が上がる」との旧軍兵士や元アメリカ軍人の証言があり、2000年代初頭に須川薫雄ら米国在住の研究グループが行った射撃実験でも、着剣状態の方が命中精度が上がっている事が確認された。このことを考慮すると、重心が後ろに傾いている九六式軽機・九九式軽機のバランサー、銃身部のウエイトとして振動抑制の役目と、駐屯地や検問所などでの威圧が目的であるとも考えられる。当時の分列行進を写した写真には、銃手が着剣した九六式軽機または九九式軽機を「担え銃」の姿勢で保持しているカットが残されている他、支那派遣軍を撮影したアルバムにも擬装網を着用した兵士が着剣状態の九六式軽機を掩体から射撃する様子を捉えた写真が残されている。
※この「着剣装置」の解説は、「九六式軽機関銃」の解説の一部です。
「着剣装置」を含む「九六式軽機関銃」の記事については、「九六式軽機関銃」の概要を参照ください。
- 着剣装置のページへのリンク