特急専用車の登場
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「名鉄7000系電車」の記事における「特急専用車の登場」の解説
7000系が運用を開始したころは、特急でも特急料金は不要であったが、1962年(昭和37年)からは観光路線で座席指定料金を徴収する特急の運行が開始されており、その後1965年(昭和40年)には8000系気動車を使用した座席指定特急が定期列車として設定されていた。これをさらに進める形で、1977年(昭和52年)3月20日のダイヤ改正では特急はすべて座席指定車両となり、座席指定車両のない特急は「高速」という新種別に変更された。この特急施策の変更に伴い、特急は原則として7000系・7500系・7700系で運用されることになったため、座席モケットは赤色に、頭あてカバーは白色に、カーテンは緑色地のものへとそれぞれ変更された。 1980年(昭和55年)7月21日、河和線を走行していた特急新鵜沼行きの7000系6両編成が、南成岩駅(当時)から成岩駅の間を走行中、折からの暑さによるレールの膨張により歪んだ箇所に差し掛かった際に、後部2両が脱線した。この列車は300 mほどそのまま進んだが、脱線した車輪は踏切の護輪軌条によって全て線路に戻った。この珍しい現象はマスメディアに注目され、日本テレビ『テレビ三面記事 ウィークエンダー』にも取り上げられた。 1982年(昭和57年)3月には、国鉄が東海道本線に117系を「東海ライナー」として快速列車に導入することが決まった。これに対して競争力を高めるため、名古屋本線の特急を増発した上で、一部は特急専用車両を投入することになった。これに伴い、まず7000系4両編成のうち5本が特急専用車両に改装された。改装内容は以下のとおりである。 「白帯車」に改装された7000系(左)と7700系(右) 座席モケットをオレンジとブラウンのツートーンに変更し、座席の枕カバーも1人分ずつ別々のものとした 通路にカーペットを敷いた 各座席にくずもの入れを設置 妻面の戸袋窓を閉鎖し埋め込み 車体に200 mm幅の白帯を配して識別 前面方向板のデザインを変更 改装された車両は「白帯車」と通称され、翌1983年(昭和58年)にはさらに7000系4両編成4本と7700系2両編成4本が「白帯車」に改装された。この時期に先頭車客室内の速度計は撤去された。 これと前後して、1983年(昭和58年)4月からは登場後20年を経過した7000系の特別整備が開始された。この整備では正面の行先板の電動幕への改造や、妻面の戸袋窓の廃止などが行われた。改造は2両単位で行われ、整備で先頭車が欠車となった場合はもっぱら5500系のモ5519・モ5520の2両編成を代わりに連結して運用した。また、1984年(昭和59年)には6両編成のうち4本が4両編成化されたが、捻出された8両のうちモ7062・モ7064・モ7161・モ7163の4両は、8800系「パノラマDX」に機器を流用するため廃車となり、冷房装置は瀬戸線の6600系の冷房化改造に使用された。これが7000系では初の廃車となった。 また、残る4両のうち、モ7101・モ7104については日本車輌に入場して6000系と同一仕様の運転台を設置する先頭車化改造が行われ、7100系モ7100形に形式が変更された。7100系は中間にモ7102・モ7103を組み込んだ4両編成で、他のSR車4両編成と共通運用されるようになった。 なお、8800系への機器流用にあたって、廃車となる車両のFS335形台車を、製造年式の新しい7000系や7700系に流用し、それらの車両が装備していた年式の新しいS形ミンデンのFS384形台車を8800系に流用している。また、7700系のうち、モ7714については1983年(昭和58年)7月から1990年(平成2年)11月まで、日本車輌の円錐ゴム式軸箱支持方式ボルスタレス台車であるND-701形の試験運用が行われた。 乗務員交代時にホーム上屋に頭部をぶつけてしまうおそれがある(左)ため、神宮前の駅ホームではホーム上屋を二重にして対応した(右) また、7000系と7500系では乗務員の運転台の出入りには車体外側のステップを昇降するが、運転室に入る際に体をかがむようにしないと、ホーム上屋の角に頭をぶつけるおそれがある。このため、ほとんどの列車で乗務員交代のある神宮前駅において、構内配線が1984年に改良された際には、パノラマカーの乗務員の頭部負傷事故を防止するため、ホーム上屋の端部を持ち上げて二重にすることで対応した。 1985年(昭和60年)9月に第十二代市川團十郎が犬山市の成田山名古屋別院大聖寺へ襲名報告を行う際に、同年9月29日新名古屋駅(当時)から犬山駅まで市川團十郎とともに鉄道を利用する主催旅行が企画された。この主催旅行は申し込みが多かったため、この団体の専用列車は当初4両編成の予定を6両編成に増結することになったが、7000系「白帯車」の4両編成に7700系「白帯車」の2両編成を増結するのではなく、別の7000系「白帯車」の中間車を2両組み込むこととした。7000系「白帯車」の6両貫通編成で営業運行を行ったのは、この時だけである。なお、この年の12月ごろから側面の座席指定表示は使用されなくなった。 1986年(昭和61年)になると、国鉄東海道本線の普通列車の増発などが行われることになったため、この対抗策として1986年(昭和61年)から1987年(昭和62年)にかけて、特急車両のグレードアップが行われることになった。この時には7000系4両編成のうち11編成が「白帯車」として整備されることになったが、1982年(昭和57年)から1983年(昭和58年)に改装された車両も6本が含まれている。改装内容は以下のとおりである。 座席背もたれを独立したヘッドレストに変更 室内化粧板をクリーム色の模様入りに変更 車両間の貫通扉を山吹色に変更 蛍光灯カバーを和紙模様のものに変更 各座席のくずもの入れを埋め込み式に変更 展望室にデジタル式の速度計を新設 車掌台に仕切りを新設 豊橋方先頭車には座席1脚を撤去して公衆電話を設置 このとき、7100系の中間に組み込まれていたモ7050形は7000系に組み込まれ、以後7100系は2両編成で他のSR車2両編成と共通運用されることになった。 1987年(昭和62年)には8800系「パノラマDX」の増備車に機器を流用するため、モ7052・モ7054・モ7151・モ7153の4両が廃車となった。この時にも、廃車となる車両のFS335形台車を製造年式の新しい7000系に流用し、年式の新しいFS384形台車を8800系に流用している。
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