特急専用車両1700形の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:10 UTC 版)
「小田急ロマンスカー」の記事における「特急専用車両1700形の登場」の解説
特急利用者の増加は続き、2000形が2編成だけでは不足するようになり、「特急券がとれない」という苦情も来るほどで、営業部門からは特急車両増備の要望が高まってきた。また、2000形は扉付近の座席がロングシートであり、全ての座席をクロスシートにして欲しいという要望もあった。しかし、収支面からはラッシュ輸送に使用できない特急専用車の新造を危ぶむ意見もあった。社内での検討の結果、将来を考えて特急専用車を導入するが、製造コストをできるだけ安価にするため、台枠は国鉄の戦災復旧車や事故焼失車のものを流用することになった。 こうして1951年2月に登場したのが1700形で、全ての座席が転換クロスシートとなり、さらに座席数を増やすため、乗降用の扉は3両で2箇所という思い切った設計とした。この1700形が、小田急ロマンスカーの地位を不動のものにしたとされている。この1700形の導入後の同年8月20日から、それまでは座席定員制だったものを座席指定制に変更した。また、夕方に新宿に到着した特急車両にビール樽を積み込み、江ノ島まで往復する「納涼ビール電車」の運行も開始されたこの時点では、検査時や増発時には引き続き2000形も使用されていた。しかし、設備面の格差が大きいことによる苦情があり、同年8月までに第2編成が製造された。 また1700形投入後に特急利用者の増加傾向が見られ、特急の営業的な成功は明らかとなった。このため、1952年8月に完全な新造車両として第3編成が投入された。特急の利用者数がさらに増加するのに対応し、1953年には特急の増発が行なわれたほか、それまで使用されていた2000形を使用した座席定員制の急行列車が運行された。 また、1954年夏からは江ノ島線にも特急料金が設定され、夏季海水浴客輸送の期間には江ノ島線にも1700形を使用した特急が運行されるようになった。 このころの小田急では、先に述べた「新宿と小田原を60分で結ぶ」という将来目標に向けて、高性能車の開発に向けた試験を進めていた。1954年7月には小田急ではじめてカルダン駆動方式を採用した通勤車両として2200形が登場しており、同年9月11日には「画期的な軽量高性能新特急車」の開発が決定していた。 しかし、予想を上回る特急利用者数の増加があり、新型特急車両の登場を待つ余裕はないと判断されたが、すでに通勤車両がカルダン駆動方式を採用しているのに、今さら特急車両を旧式の吊り掛け駆動方式で増備することは考えられなかった。このため、暫定的に2200形の主要機器を使用し、車体を特急用とした2300形が1955年に登場した。また、この年の10月からは、御殿場線へ直通する特別準急の運行が開始されている。
※この「特急専用車両1700形の登場」の解説は、「小田急ロマンスカー」の解説の一部です。
「特急専用車両1700形の登場」を含む「小田急ロマンスカー」の記事については、「小田急ロマンスカー」の概要を参照ください。
- 特急専用車両1700形の登場のページへのリンク