特急形車両の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 23:27 UTC 版)
昭和30年代に入ると動力近代化計画が取り組まれるようになり、液体式気動車や新性能電車が実用化された。特急列車においては昼行列車には速達性の観点から動力分散方式が推進されたことから電車や気動車を導入し、夜行列車については静粛性の観点から動力集中方式を採用し、固定編成とした寝台客車を導入することが決定され、特急形と呼ばれる特急専用の車両が導入された。 電車では、先に述べたとおり151系電車が最初とされている。 国鉄では151系設計時から、特急設計の車両は車体床面を一般車両より約20cm下げるなど、内装だけではなく、車体の構造自体がそれ以外の用途のものとは異なっていた。これは、当時の最新鋭車両であった小田急3000形「SE」など、座席指定制列車を運行する際に当てはまる設計上の思想といえる。 この151系の成功はのちに電化区間の拡張に伴い、後継車両である161系・181系電車や183系・189系電車、交流電化区間直通を前提とした481系・483系・485系電車に結実する。 客車では「軽量客車」といわれる10系客車の設計を元に、サービス電源を供給する電源車を要するが、居住性が高い固定編成を組むことを前提としていた20系客車が特急専用車の緒と言える。客車の場合は運用を特急列車に限定していない(理由は後述)。これには、座席車ではおもな使用先として想定される昼行列車については151系電車の成功により、電車・気動車による速達化とサービス設備の充実が可能となり、同時期に登場した20系およびそれ以降の客車は静粛性が求められる寝台車を中心とした夜行列車・寝台列車への利用へと転向したことがある。 気動車では、キハ80系気動車が最初とされている。気動車の場合、20系客車と151系電車の成功によるものが大きいとされ、その端緒であるキハ81系気動車では、同形電車の外観・内装・接客設備を元に設計された。しかし、電力の確保という点で発電機を積む制御車を製造したと言う点で国鉄形気動車でありながら、固定編成を組むという異例な形を採った。また、特急形気動車は急行形以下とは制御系統・制動装置などが異なっていたため、急行形以下の気動車との混結はできないという点でも他の気動車と区別されていた。 この発想は走行性能が電車並みに改善されたキハ181系気動車でも踏襲された。 日本初の特急型電車の151系 日本の気動車初の特急型となるキハ80系 日本における特急型客車の先駆けとなった20系
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