法解釈の現代的展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 02:16 UTC 版)
以上述べてきたような、法解釈における社会学的な考え方は、ベッカリーアやベンサムによる犯罪に関する著作に端を発する。特にベンサムは、犯罪に対する法的制裁(英:sanction)によって悪い行動を抑止しうることを強調し、フォイエルバッハらに影響を与えた。また、マルクスは、唯物論の観点から法の歴史的必然性を強調してメンガーを批判し(→#概念法学と自由法論)、結果的にサヴィニーと同様、立法者の人為的努力による社会の変革という「立法への使命」を否定していた。 ところが、このような法の社会性を重視する傾向は、法解釈をして現実の政治的事情に追随する弊害を招いたとの観点から、第二次世界大戦の前後からケルゼンによって法実証主義が再評価され、これを徹底して法解釈から政治的・社会的事情を意図的に排除し、法的安定性を確保すべきとする純粋法学が主張される。現象学、物理学からの影響もあるといわれる。戦時下の日本でも多くの追随者があり、その影響の下イデオロギー的に無色の法解釈論を展開する者が少なくなかったが、しかし、その理論の極端さゆえ、普遍的な支持を得るには至らなかった。それでもなお、法律と道徳の厳格な峻別をすべきであるという思想自体は、戦後の日本刑法学における一大潮流をなしている。 一方で、特にアメリカにおいては、前述のリアリズム法学の影響はかえって裁判の客観的性格を極度に失わせ、一部の裁判官をして、自己の個人的イデオロギーに反する立法を片っ端から違憲無効を宣言する方向に向かわしめ、司法と立法の衝突が深刻な社会問題になったし、あるいはまたその反動として、極端な懐疑主義と価値相対主義に基づく司法消極主義が、司法の人為的努力による社会の変革・改善という可能性を失わせるにいたった。しかも、第二次大戦後の価値観の多様化の中で、とくに刑事公安事件や労働事件などについて、どのような法解釈によって利害調整をしたところで、その具体的妥当性の是非について何らかの非難が及ぶのは避けがたいところである。 そこで、英米においては、法学者のみならず哲学者や倫理学者等によって、主観的な価値判断の正当付けを行おうとする学問的努力が行われるようになった。日本でも、民法学者を中心に、その影響を受けた議論が見られる。 また、1960年代から70年代にかけて、ベンサム以来の経済学的アプローチを発展させて、市場メカニズムによる違法行為の抑制機能を強調し、不法行為制度を始めとする法解釈全体に、ミクロ経済学の手法を取り入れた経済学的・数学的アプローチを展開しようとする動きがアメリカを中心に活発化する。コースの定理で知られるロナルド・コースが有名である。法制度を科学的に分析するための客観的論理を提供した点に功績がある。 例えば、法社会学者の川島武宜は、日本における訴訟外での紛争解決の多さを、義理人情を尊び、法律や契約遵守の意識が弱い日本人の法意識の遅れに基づくものであると分析したが、欧米の一部の国のみを念頭においた不正確で主観的な印象論であるとして20世紀の末頃から批判され、支持を失った。そこで、アメリカの法学者の側からは、主に日米の交通事故における被害の賠償についての数理分析により、日本で訴訟件数が少ないのは交渉による裁判外紛争解決手続(ADR)等が良く機能しているためであるに過ぎず、全体としての法制度はうまくいっているとの主張が現れるなどしている。裁判所がいかなる解釈をとるべきか、いかなる結論が具体的妥当性の実現となるかについては、判決が社会に及ぼす経済的影響がしばしば決め手となることが少なくないから、このような、法の経済分析を中心とする法と経済学と呼ばれる学問はかなり急速に発展してきている。 このいわゆる法と経済学派に対しては、その前提とする、富を最大化する制度に人々が暗黙の内に同意しているという人間観や、ベンサムのいう「最大多数の最大幸福」という功利主義の哲学それ自体に疑問が呈されており、1970年代から80年代にかけては、ドウォーキンらによる正義論の復権や、女権拡張運動、人種問題などを反映した法理論が主張されるなど、法解釈における社会的・哲学的議論は多様な進展を見せつつある。 20世紀以降の法理論の傾向を一言で言うとすればそれは世界法である。第二次大戦後の各国社会の結びつきによって、手形法や商法、債権法や刑法の総則部分におけるような、本来各国別々の主権によって制定された法が世界共通の共通傾向を示す傾向を、積極的に推進しようとする立場が有力になりつつあることは20世紀から21世紀にかけての特徴となってきていることが注目される。このことは、同時に各国独自の社会事情に基づく固有の法及びその利益を享受する各国民に重大な不利益をもたらす危険性をも孕むものであるとも警戒される。これもまた、法の普遍性を強調する自然法論と、法の固有性を強調する歴史法学の対立が形を変えて現れたものということができる。 詳細は「グローバリズム」を参照 自然法学派の思想は脈脈として……伏在して、絶ゆることなく形を変え容を改め再び現出し来らんとする……思ふに此問題は永久に解決することを得ざるものたらん。 — 石坂音四郎
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