法解釈の主体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 02:16 UTC 版)
法令の最終的な解釈は司法権を有する裁判所が行うものであるとすることは、裁判所のみが法令の解釈をすることを意味しない。国、地方公共団体の立法機関や、行政機関、学者、弁護士、その他の一般私人も、学問的探求のため、或いは紛争の解決・予防のために、法令の解釈を行うことが必要になる。その解釈によって裁判所を拘束することができるかは別問題であるというだけである。 そこで、多様な解釈が成立しうる中で、個々の学者や弁護士などの一般私人による解釈すなわち#学理的解釈(無権的解釈、私解釈)に対比して、権威を持つ公的機関(裁判所のみならず立法府、行政機関等)による解釈を有権解釈(公解釈、公定解釈、公権的解釈)と呼ぶことがある。この有権解釈の内、行政機関のする有権解釈を特に行政解釈と呼ぶこともあるほか、後述するように、立法府による有権解釈の意味で有権的解釈、強制的解釈、又は#立法的解釈と呼ぶことがある(本項では立法的解釈で統一する)。 一般に、法の解釈といえば広義の法解釈から立法的解釈を除いた学理的解釈を指すのが通常であり、学理的解釈と有権解釈とを区別するのは、有権解釈が学理的解釈と異なり事実上法律と同一の拘束力を生ずることを理由とするが、この区別は解釈の主体及び効力に関する形式上の区別に過ぎず、解釈手法に関係に直接の関係がないため、その法原理を説明するに付き特別の価値あるものではないと説明されることもある。 しかし、歴史的には常にそのように考えられてきたわけではなく、個々人による学理的解釈が全く否定され、むしろ立法的解釈のみが適法な法解釈とされたことがある。 例えば、前述のユスティニアヌス帝は、ローマ法大全の解釈権は立法者である皇帝の専権である旨宣言して、その学理的解釈を勅令によって厳禁した。これは、「法を解釈する権利は法を作る者に属す」というローマ法の法格言に依拠したものであると共に、また法源の明確化とスリム化によって、過去無数の解釈論がローマ法全体を混乱状態に陥れた轍を踏むことを避け、法的安定性を実現しようとする実践的な目的に基づくものであった。 また18世紀後半におけるオーストリア、プロイセン等の諸法典も、立法権過信思想を背景として、その内容に疑義のあるときであっても、裁判官による学理的解釈は法律によって禁止され、いちいち議会や法律委員会の決議に依ることを要するものとして法的安定性を確保しようとしたから、かえって訴訟経済の観点からも重大な不都合を生じることとなり法典の利益が損なわれる事甚だしく、裁判官の権限を極度に縮小したそれらの諸規定は短命に終わり、19世紀から20世紀にかけては、裁判官に法解釈権限があることを当然の前提としつつ、成文法を超えた法の自由発見のあり方が議論されていくことになる。 そこで私人による学理的解釈と裁判所をはじめとする公的機関による有権解釈を比較すれば、後者は前者に比して事実上広く一般国民に影響を及ぼしやすいものであることは明らかであるから、その解釈にあたってはあくまで最大限現行法の尊重に立脚しつつ、法的安定性への要請がより強く要求される。すなわち、有権解釈においては、当該機関がその解釈を覆すまでは、他の下位諸機関を法的又は事実上拘束し(→#判例法)、それによって法的安定性が保たれることになるから、これをみだりに軽視して安易に学者の説を採用することは、国民の予測可能性を奪い、社会に無用な混乱を引き起こすおそれがあると考えられ、したがって裁判官が具体的妥当性を重視して既存の有権解釈に反する独自の学理的解釈を採る場合には、相応の論証が要求されることになる(→#刑法及び行政法における慣習法)。 これに対し、立法府により、ある特定の行政機関や職員個人に一定の範囲で法令の解釈権限が委任されている場合もある。この場合の有権解釈(立法的解釈)は一般国民をも広く直接に拘束することになる。
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