法語集とは? わかりやすく解説

法語集

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 03:16 UTC 版)

曽我量深」の記事における「法語集」の解説

東本願寺廊下掲示板掲載された量深の法語選択本願念仏とは 念仏申せば助かるということではない 念仏なければ助からないということだ 自分わからないから 信ず信心ぐらつく われわれは知らなくても 仏に願いかけられ 望みかけられておる あるものをおそれ、ないものをほしがる、これが悪人問題 相手を鬼と見る人は 自分もまた鬼である 仏様どこにおいでになります南無阿弥陀仏念ずる人の前においでになります 浄土言葉要らぬ世界である 人間の世界言葉必要な世界である 地獄言葉通じない世界である 往生の“生”は生まれるというほかに“生きる”という意味がある 人間生死しょうじ)の苦しみのがれようとして、生死苦しんでいる 如来は我なり されど我は如来非ず 如来我となりて我を救いたもう 真宗大谷派三宝寺HPより転載 自分正直なつもりであろうが、実はそんな人間が一番不正直な人間であろう われ如来信ず故に如来在しますなり 正し信念というのものは、劣等感捨てさせることができる 戦時下言葉 弥陀本願天皇本願一致している

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法語集

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 04:36 UTC 版)

金子大栄」の記事における「法語集」の解説

自の喜び深さは、他の喜びとなれることを知るところにあるようである。随喜されない喜び眞の喜びではない。(『口語譯教行信証』信の巻 領解) 悲しみ悲しみを知る悲しみ救われ、涙は涙にそそがれる涙にたすけらる。(『歎異抄領解』) やり直しのきかぬ人生であるが、見直すことができる。 花びら散っても花は散らない 形は滅びても人は死なぬお念仏とは自分発見する場所である。 わが日本人においては陛下御名において、その実御徳が全現しておるのでありますそれ故国民は、陛下御名において生き陛下御名において死することができるのであります。(『正法顕現』) ※末尾括弧のない句は、「しんらんWEB 法話集」より転載

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