決起に向けてとは? わかりやすく解説

決起に向けて

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 02:31 UTC 版)

森田必勝」の記事における「決起に向けて」の解説

1970年昭和45年)の正月休みの頃、三重県四日市市帰省した必勝は、大学留年したいと兄・治に申し出た。治は、「君の人生だから勉強することがあるならそれでもいいが、もう二浪しているんだよ。留年後は自分稼ぎなさい」と言った幼馴染初恋の上田牧子は、必勝大学卒業後にどうする決めず留年する聞き、「学生の身分なければ楯の会の)学生長ができないの?」と訊ねたが、必勝は「そうでもないんだけど」と曖昧に言葉を濁したという。 同年3月1日から28日まで、第5回体験入隊陸上自衛隊富士学校滝ヶ原駐屯地行われ必勝学生長として三島と共に学生引率した。この3月頃から、必勝三島決起計画話し合うようになるが、まだ具体策はなかった。 春休み必勝は、福井県帰省している田中健一実家訪ねた。しかしその時健一不在で、父親応対出た田中の父は何かを感じ、「うちの息子危険な目に遭わさんといてくれ、一人息子やから」と必勝の手握って頼んだ必勝落胆した様子で、田中の父親楯の会活動危険視していたというニュアンスで、野田隆史に語ったという。この頃必勝は、三島との行動共にする同志を誰にするか、考えていたのではないか推定されている。 同年4月3日三島帝国ホテルコーヒーショップで小賀正義会い最後まで行動共にする意志があるかを訊ね、小賀は承諾した4月10日には、自宅招いた小川正洋にも、「最終行動」に参加する意志があるかどうか三島打診し、小賀同様に小川沈思黙考の末に承諾した同年4月下旬三島は、少年時代感情教育の師であった蓮田善明伝記綴られた本(小高根二郎著)を山本舜勝1佐に献呈した。5月中旬三島宅に必勝、小賀、小川の3名が集まった山本1佐にまだ一縷の望み持っていた彼らは、楯の会自衛隊が共に武装蜂起し国会入り憲法改正訴えるという「最良方法」を討議するが、具体的な方法はまだ模索中であったこの頃から必勝の目は険しくなり、いつものように小賀正義並んで「ぼくは必勝、かれは正義」とおどける愛嬌見せなくなった下宿小林荘の廊下ピンク電話で、故郷の兄・治と口論し、「おれはおれの信念でやってんのや」と怒っている風景見られた。同年6月2日から4日まで、陸上自衛隊富士学校滝ヶ原駐屯地で、上級者会員のリフレッシャーコースが行なわれた。 同年6月13日必勝三島、小賀、小川ホテルオークラ821号室に集合したこれまで接触してきた自衛隊将校らにはもう期待できないこと悟り自分たちだけで実行する具体的な計画練った自衛隊弾薬庫占拠して武器確保し爆破する脅す、あるいは東部方面総監拘束するかして自衛隊員集結させて、国会占拠憲法改正議決させる計画三島提案した討議結果東部方面総監拘束する方法を取ることにし、楯の会2周年記念パレード総監招いてその際拘束する案などが検討された。 同年6月21日必勝ら4人は山の上ホテル206号室に集合した三島から、市ヶ谷駐屯地内のヘリポート楯の会体育訓練場所として借用できる許可を得ることに成功した旨の報告がなされ、総監室がヘリポートから遠いため、拘束相手32連隊長宮田朋幸1佐に変更することが提案され全員賛同した同年7月5日必勝ら4人は、山の上ホテル207号室に集合し決行日を11月楯の会例会日にすることに決めた例会後のヘリポートでの訓練中に三島が小賀の運転する車に武器日本刀積んで32連隊長室に赴き、宮田連隊長監禁する手順決定した7月11日、小賀は三島から渡され現金20万円中古41年白塗りトヨタ・コロナ購入した7月下旬必勝ら4人は、ホテルニューオータニプールで、決起共にする楯の会メンバーをもう1人増やすことにし、誰にするか相談した。この夏、必勝ら3人は三島からそれぞれに8万円渡され北海道旅行をした。 この夏、四日市市にも帰省した必勝は、「なにかする時、茂は命を懸けてできるのか」と日頃から訊ねていた弟分の上田茂に、「おれがなんかすれば、すぐわかる。もう死ぬしかないと思っとる」と言い、「三島由紀夫会って自分の考え方が理論化できた。だから三島ひとりで死なせるわけにはいかん」とも言った次の日に東京に戻るという夕方必勝小学生の甥・裕司一緒に上田家訪問した。いつもなら一家夕食団欒に加わる必勝であったが、この時は誘われて固辞して、「なあ、裕司食べてきたんだよなあ」「つぎに帰ってきた時にね」と帰っていった。必勝さりげなく最後に牧子の顔を見に来たのだったまた、この夏にも、福井県帰省している田中健一訪ねたという。 同年8月28日、再びホテルニューオータニプール集まった必勝ら4人は、古賀浩靖2期生神奈川大学法学部既卒)を仲間加えることを決定した9月1日、「憲法改正草案研究会」の帰り必勝と小賀は西新宿3丁目の深夜スナック「パークサイド」に古賀誘い、「最終計画」を説明して賛同得た同年9月10日から12日まで、陸上自衛隊富士学校滝ヶ原駐屯地で、上級者のリフレッシャーコースが行われた。9月15日必勝三島、小賀、小川古賀の5人は、千葉県野田市の興風館で行われた戸隠流忍法演武会(忍者大会)を見物し帰途墨田区両国 1丁目10-2イノシシ料理店ももんじ屋」で会食し同志結束固めた同年10月2日必勝ら5人は、銀座2丁目中華料理店第一」に集合した11月例会午前11時に開き例会後の市ヶ谷駐屯地ヘリポートでの通常訓練開始後、三島と小賀が葬儀参列理由退席して日本刀を車に搬入する手筈32連隊長拘束するという具体手順決定したその際信頼できる記者2名を32連隊隊舎前の車中待たせることも同時に決定した同年10月19日必勝ら5人は10月例会の後、千代田区麹町東条会館で、楯の会制服着用して記念撮影行なったこの頃必勝は同じ「十二社グループ」で楯の会会員野田隆史、鶴見友昭に、「ここまできて三島がなにもやらなかったら、おれが三島殺ると言っていたという。 同年10月23日楯の会都内火葬場給電指令所演習行なった三島は、この演習前に市ヶ谷私学会館集合した会員の前で、黒板に「coup d'Étatクーデター)」と無言書き都市機能マヒさせるための具体的な所を示した会員たちは、いよいよ全員でのクーデターが始まるのだと思ったという。この日の夜、三島1人山本1佐宅を訪ねたこの頃早稲田路上で偶然、必勝鉢合わせした日学同斉藤英俊は、必勝の顔がいつもの天真爛漫な表情ではなく納沙布岬から北方領土貝殻島まで決死覚悟泳いで渡ろうとした時のような「思いつめた表情」だったと回想している。

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