決起のきっかけとは? わかりやすく解説

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決起のきっかけ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:22 UTC 版)

二・二六事件」の記事における「決起のきっかけ」の解説

青年将校らは主に東京衛戍第1師団歩兵第1連隊歩兵第3連隊および近衛師団近衛歩兵第3連隊属していたが、第1師団満州へ派遣内定したことから、彼らはこれを「昭和維新」を妨げ意向受け取った。まず相沢事件公判有利に展開させて重臣政界財界官界軍閥腐敗醜状天下暴露し、これによって維新断行機運醸成すべきで、決行はそれからでも遅くはないという慎重論もあったが、第1師団渡満する前に蹶起することになり、実行1936年昭和11年2月26日未明決められた。なお慎重論もあり、山口一太郎大尉や、民間人である北と西田時期尚早であると主張したが、それら慎重論唱える者を置き去りにするかたちで事件起こされた。 安藤輝三大尉第1師団満洲行きが決まると、「この精兵率いて最後ご奉公北満の野に致したい念願致し」、「渡満楽しみにしておった次第であります」と述べ、また1935年1月中隊長への昇進前には、当時連隊長井出宣時大佐対し誓って直接行動致しません」と約束し蹶起極めて消極であった栗原磯部からの参加要請断ったことを野中から叱責され、さらに野中から「相沢中佐行動最近一般情勢などを考えると、今自分たちが国家のために起って犠牲にならなければ却って天誅がわれわれに降るだろう。自分今週番中であるが今週中にやろうではないかと言われ、ようやく2月22日になって決断した北一輝西田税思想的影響受けた青年将校それほど多くなく、竹島中尉高橋少尉安田少尉など、新たな国家体制確立よりは、とにかく自分たちは奸臣を斬れば良いのだという考えの者もいた。いわゆるおなじみの「皇道派」の青年将校動きとは別に相沢事件公判通じて結集した少尉級を野中四郎大尉組織し決起へ向けて動き開始した見るべきであろう2月20日安藤大尉話し合った西田は、安藤苦衷聞いて「私はまだ一面識もない野中大尉そんなにまで強い決心持っているということ聞いて何と考えても驚くほかなかったのであります」と述べている。また山口一太郎大尉は、青年将校たちの多く知らず、北、西田の影響受けた青年将校相対的に少ないことに驚いた述べており、柴有時大尉も、2月26日夜に陸相官邸初め行った際の印象として「いわゆる西田派と称せられていた者のほかに青年将校が多いのに驚きました」と述べている。 磯部獄中手記で「……ロンドン条約以来統帥権干犯されること二度に及び、天皇機関説信奉する学匪、官匪が、宮中府中はびこって天皇御地位を危うくせんとしておりましたので、たまりかねて奸賊討ったのです。……藤田東湖の『大義明らかにし、人心正さば、皇道.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}奚(な)んぞ興起(こうき)せざるを患(うれ)えん』これが維新精神でありまして、青年将校決起の真精神であるのです。維新とは具体案でもなく、建設計画でもなく、又案と計画実現すること、そのことでもありません。維新意義青年将校の真精神わかれば改造法案実現するためや、真崎内閣をつくるために決起したのではないことは明瞭です。統帥権干犯の賊を討つために軍隊一部が非常な独断行動をしたのです。……けれどもロンドン条約真崎更迭事件は、二つとも明に統帥権干犯です。……」と述べている。 村中憲兵調書には「統帥権干犯ありし後、しばらく経て山口大尉より、御上総長宮とが悪いと仰せられたということ聞きました。……本庄閣下より山口聞いたものと思っております」とある。また、磯部調書にも「陛下真崎大将教育総監更迭については『永田が悪い』と本庄侍従武官長に御洩らしになったということ聞いて、我は林大将が統帥権犯しておることが事実なりと感じまして、非常に憤激覚えました。右の話は……昨年十月十月であった思いますが、村中孝次から聞きました」とある。『本庄日記』にはこういう記述はなく、天皇実際に本庄このような発言をしたのかどうか確かめようがないが、天皇統制派怒り感じており、皇道派シンパシー持っている、ととれるこの情報が彼らに重大な影響与えただろう。天皇本庄侍従武官長→(女婿山口大尉、というルート情報源としては確かなもので、斬奸後彼らの真意正確に天皇伝わりえすれば天皇はこれを認可する、と彼らが考えたとしても無理もないことになる。 「蹶起第一理由は、第一師団満洲移駐第二当時陸軍中央幕僚たちが考えていた北支那への侵略だ。これは当然戦争になる。もとより生還期し難い。とりわけ彼らは勇敢かつ有能な第一線指揮官なのだ。大部分戦死してしまうだろう。だから満洲移駐前に元凶斃す。そして北支那へは絶対手をつけさせない今は外国事を構える時期ではない。国政改革し国民生活安定を図る。これが彼らの蹶起動機であった」と三郎断定している。 東京憲兵隊特高課長福本亀治少佐は、本庄侍従武官長に週一度ぐらいの割合青年将校不穏な情報報告し事件直前には、今日明日にでも事件起こりうることを報告して事前阻止進言していた。

※この「決起のきっかけ」の解説は、「二・二六事件」の解説の一部です。
「決起のきっかけ」を含む「二・二六事件」の記事については、「二・二六事件」の概要を参照ください。

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