水腫脹満
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:54 UTC 版)
「地方病 (日本住血吸虫症)」の記事における「水腫脹満」の解説
この疾患がいつから山梨県で「地方病」と呼ばれるようになったのかを明確に記したものはない。しかし明治20年代(1887-1896年)の初め頃には、甲府盆地の地元開業医の間で「地方病」と称し始めていたことを各種資料文献などで確認することができる。 医学的に「日本住血吸虫症」と呼ばれるようになったのは、病原寄生虫が発見され、病気の原因が寄生虫によるものであると解明されてからのことである。しかし山梨県内では病原解明後も今日に至るまで、「地方病」という言葉は一般市民はもとより行政機関等においても使用され続け定着しており、一般的には風土病を指す「地方病」という言葉は「日本住血吸虫症」を指す代名詞と化している。 腹部が大きく膨らむ特徴的な症状から古くは、水腫脹満(すいしゅちょうまん)、はらっぱり、などと呼ばれていた「地方病」は、以下に示す史料文献中の記述により、少なくとも近世段階にはすでに甲府盆地で流行していたものと考えられている。 近世初頭に原本が成立した全五十九品(章)からなる兵書である『甲陽軍鑑』品第五十七の文中に、武田家臣の小幡豊後守昌盛が重病のため土屋昌恒を通して武田勝頼のもとへ暇乞いに来る場面があり、この中に積聚の脹満(しゃくじゅのちょうまん)と書かれた記述がある。積聚(しゃくじゅ)とは腹部の異常を指す東洋医学用語であり、脹満(ちょうまん)とは腹部だけが膨らんだ状態を意味している。積聚の脹満とはつまり、腹部の病気によって腹が膨らんだ状態を描写したものである。さらに、籠輿(かご)に乗って主君である勝頼の下へ出向いているのは、この時すでに昌盛が歩くことすらできなくなっていたからであると考えられ、これらの記述内容は典型的な地方病の疾患症状に当てはまる。 甲陽軍鑑、品第五十七 …次に、小幡豊後守善光寺前にて土屋惣蔵を奏者に憑(たのみ)、御目見仕、豊後、巳の年(1581年・天正9年)霜月より煩(わずらい)、積聚の脹満 なれ共、籠輿に乗今生の御暇乞と申。勝頼公御涙を流され、か様に時節到来の時、其方なども病中是非に及ばず候と御下さるゝ…… これは、天目山の戦い直前の天正10年3月3日(ユリウス暦1582年3月26日)、勝頼一行が新府城を捨て岩殿城へ向かう途中で立ち寄った、甲斐善光寺門前での出来事を記したものであり、小幡豊後守昌盛はこの3日後に亡くなっている。この『甲陽軍鑑』のくだりが地方病を記録した最古の文献であると考えられている。 その後、江戸時代中期の元禄年間(1700年頃)に「水腫脹満」の薬と称した民間療法薬が作られていた伝承が残されており、明治期にはそれを由来とした通養散と呼ばれる薬が竜王村界隈(現:甲斐市竜王)で販売されていた。また、江戸時代後期の文化8年(1811年)には、甲府盆地南西部に位置する市川大門在住の医師、橋本伯寿によって著された医学書『翻訳断毒論』において、「甲斐の中郡(なかごおり)には水腫多く」と当時の様子が記されている。 地方病に罹患した患者の多くが初期症状として発熱、下痢を発症するが、初期症状だけの軽症で治まるものもいた。しかし感染が重なり慢性になった重症の場合、時間の経過とともに手足が痩せ細り、皮膚は黄色く変色し、やがて腹水により腹部が大きく膨れ、介護なしでは動けなくなり死亡した。 今日の医学的見地に当てはめると、肝臓などの臓器に寄生虫(日本住血吸虫)の虫卵が蓄積されることによる肝不全から肝硬変を経て、罹患者の血管内部で次々に産卵される虫卵が静脈に詰まって塞栓を起こすことにより、逃げ場を失った血流が集中する門脈の血圧が異常上昇する。その結果門脈圧亢進症が進行、それに伴い腹部静脈の怒張(メデューサの頭, caput Medusae)および腹腔への血漿流出による腹水貯留を起こし、最終的に食道静脈瘤の破裂といった致命的な事態に至る。これら種々の合併症が直接の死因である。また、肝硬変から肝臓がんへ進行するケースも多く、さらに肝臓など腹部の臓器だけでなく、血流に乗った虫卵が脳へ蓄積する場合もあり、片麻痺、失語症、痙攣などの重篤な脳疾患を引き起こすこともあった。 甲斐国(現:山梨県)の人々は、腹水が溜まり太鼓腹になったら最後、回復せず確実に死ぬことを、幼い頃から見たり聞いたりしていた。また、発症するのは貧しい農民ばかりで、富裕層には罹患・発症する者がほとんどなかったことから、多くの患者が医者に掛かることなく死亡したものと推察されている。地方病の感染メカニズムを知識として知ることのできる現代の視点から見れば、農民ばかりが罹患した理由も明らかである。しかし、近代医学知識のなかった時代の人々にとっては原因不明の奇病であり、小作農民の生業病、甲府盆地に生まれた人間の宿命とまで言われていた。 やがて幕末の頃になると、甲府盆地の人々の間でこの奇病に因んだことわざが生まれた。 水腫脹満 茶碗のかけら この病に罹ると、割れた茶碗同様二度と元の状態に戻らず、役に立たない廃人になり世を去る、という意味である。 夏細りに寒痩せ、たまに太れば脹満 普段の暮らしは貧しく痩せ細っているが、太るとすれば脹満に罹った時だけ、という意味である。 また、発症者の多発する地区がある程度偏っていたことから、流行地へ嫁ぐ娘の心情を嘆く俗謡のようなものが幕末文久年間の頃から歌われ始めた。 〽 嫁にはいやよ野牛島(やごしま)は、能蔵池葭水(のうぞういけあしみず)飲むつらさよ(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分6.4秒 東経138度28分47.2秒 / 北緯35.668444度 東経138.479778度 / 35.668444; 138.479778 (野牛島・能蔵池)) 〽 竜地(りゅうじ)、団子(だんご)へ嫁に行くなら、棺桶を背負って行け(北緯35度41分43.2秒 東経138度29分54.7秒 / 北緯35.695333度 東経138.498528度 / 35.695333; 138.498528 (竜地・団子)) 〽 中の割(なかのわり)に嫁へ行くなら、買ってやるぞや経帷子に棺桶(北緯35度41分9.6秒 東経138度26分32.5秒 / 北緯35.686000度 東経138.442361度 / 35.686000; 138.442361 (中の割)) このような悲しい口碑や民謡が、かつての甲府盆地の有病地に残されている。 寄生虫の存在すら知り得ない当時の人々にとって、この奇病の原因はもちろん、なぜ特定の地域にばかり発症者が多発するのか、全てが謎であった。
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