概念法学による近代個人主義・自由主義の確立
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「法解釈」の記事における「概念法学による近代個人主義・自由主義の確立」の解説
19世紀のドイツ法学が重視したのは論理解釈であった。 ドイツでは、ローマ帝国の後継者を自認する神聖ローマ帝国によってローマ法大全が全面的に継受されていたが、神聖ローマ帝国の支配が有名無実化した後もローマ法の優秀性は否定し難く、16世紀頃からローマ法は当時のドイツの社会状況に合わせて再構成され(パンデクテンの現代的慣用)、各地のゲルマン法系の固有法を補充する普通法(ゲマイネス・レヒト(ドイツ語版))として利用されていた(ドイツ普通法学)(→#一般法と特別法)。11世紀後半にボローニャ大学でローマ法を講じてヨーロッパ各国に影響を与えた、イルネリウスを祖とする註釈学派の流れを受けたものである。 もっとも、前述のローマ法大全中の学説彙纂は、その多くが個別具体的な問題への学者の回答集であったから、ドイツにおいては、時と場所を超えた法の普遍的性格を強調する自然法論の影響を受けつつ、幾何学の手法を導入して、原則を定めてそこから演繹的・体系的に思考を進めるというというパンデクテン法学が生み出されたのである。 特に19世紀においては、ローマ法の普遍的性格に着目してその無個性と中庸が賛美され、サヴィニーの「概念による計算」の句が示すように、演繹法による形式論的論理解釈が過度に尊重されて、ほとんど数学者が数字や抽象的記号を操作するのと同じであるかのように、主観的な価値判断を厳しく排除する建前を採っていた。とりわけ、個別具体的なものの中からその共通項を総則として取り出して抽象化・一般化するという手法は(民法総則等)、19世紀ドイツパンデクテン法学特有の産物として、具体的・個別的性格の強い英米法との対比で極めて大きな特徴を持っている。 もっとも、サヴィニーにおいては、法的安定性の確保という観点から早期の成文法による統一法典の制定を主張したティボーに対して、論理解釈を重視しつつも歴史法学の立場から慣習法を重視することによって、具体的妥当性との調和を図ろうとするものであった。 このパンデクテン法学はサヴィニーの後継者達によって歴史法学の要素を捨象して純化され、ヴィントシャイトによって完成されてドイツ民法典の制定に結実、その論理的・抽象的思考方法は大陸法をはじめ、世界の法学に一定の影響を与える。例えば、行政法学の父と呼ばれるオットー・マイヤーの行政行為理論はドイツ民法典の法律行為理論に対応したものであるし、自然法学を徹底的に攻撃したイギリスの分析法学や、後述する純粋法学も、このようなドイツ法学の影響を受けている。 一方、フランスでは自然法を根拠にナポレオン諸法典が「書かれた理性」(仏:la raison écrite;ratio scripta)であるとして絶対視され、文理解釈と形式的論理解釈が偏重された(註釈学派)。モンテスキュー、ベッカリーア等の啓蒙思想家達の影響が背景にある。 このような伝統的法解釈論の下で、裁判官による事件処理法として中核となったのが判決の三段論法である。判決三段論法とは、法的三段論法ともいい、(1)法規範を(2)当該事案における具体的事実にあてはめて(3)判決の結論を出す論法のことを言う。つまり、まずはじめに結論ありきの思考方法を採るのではなく、そのような判断枠組みによって裁判官の恣意的判断を排除することで、判決の客観性を担保しようとしたものであり、現代においてもなお一定の意義を認めることができる。 こうした独仏の成文法万能主義(法実証主義)のいずれもが、法的安定性を確保し、ヨーロッパの初期資本主義における市民の自由な経済活動を保証するという要請に応えるという機能を果たしていた。特に、高度に抽象化されたパンデクテン方式を基礎とするドイツ法系においては、批判と修正を受けながらも論理解釈が大いに発達した(論理法学)。このようなドイツ法学の傾向は、官僚主義の要因となったと批判されたが、また一面において諸法典に立脚しつつ、国民の自由・利益を確保しようと努力したことで、市民社会における基本的ルールを確立するという大きな歴史的遺産を遺したのである。つまり、「悪法もまた法なり」という前述の法格言は、モンテスキューが主張したような夜警国家的三権分立思想の下においては、司法の抑制による自由主義思想のあらわれに他ならなかったのである。 詳細は「古典的自由主義」を参照 しかし、極度に形式論に傾斜した法律学は、潜在的には激しい反発を受けていたのである。 仏蘭西の法律学と云ふものは此数十箇年全く此卑い註釈学問となつて居る。 — 富井政章 法律学というやつにはどうも僕は馴染めないのです。何しろ、人の気持をそれほど邪推することはできませんからな。 — ゲーテ『ファウスト』 悪魔の聖書ともいうべき忌むべき書物であるローマ法大全 — ハインリヒ・ハイネ 法学に愛を感じないで、ただ機械的に強いられて法律家になるような人間は、もうそれだけで偉大な法律家になる資格を欠いています。 — ロベルト・シューマン さらに、ドイツ民法典が生まれた19世紀末は、資本主義経済の発展による社会の変容によって、ドイツ民法典がその成立において基盤とした個人主義的・自由主義的な経済観が退潮し始めた時期であった。個人主義の極致であったドイツ民法典が20世紀への先駆ではなく19世紀の総決算と評価される所以である。もっとも、社会主義的観点から、サヴィニーとは逆に立法者の人為的努力によって社会を積極的に改善しようとするアントン・メンガー(ドイツ語版)や、個人の自由意思の尊重と社会における取引安全の調和を説くデルンブルヒらの学説の影響によって、サヴィニー、ヴィントシャイトの影響により権利変動の根拠を個人意思に求める意思主義に傾斜したドイツ民法第一議会草案は一定の修正を受けていることに留意すべきである。このようにして、急激な社会の変動を前にして、立法者独自の立場による社会変革への人為的努力に否定的であった歴史法学は、ドイツ民法典の制定と同時にその限界を迎えたのである。
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