歴史的遺産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/06/19 13:28 UTC 版)
中世要塞マルケリ(Markely) - カルノバトの町から西に7.5キロメートルの丘の上、モチュリツァ川(Мочурица、Mochuritsa)の近くに位置している。1986年に始まった発掘調査では、6世紀の神殿、10世紀の聖堂、11世紀のビザンティン聖堂が見つかっている。この町は軍事的にみて重要な戦略拠点であったと共に、経済・商業活動の中心としてブルガリアとビザンティン帝国の間で重要な役割を果たしてきた。第一次ブルガリア帝国のハーンであったカルダム(Кардам / Kardam)はこの場所でビザンティンを相手に勝利を収めた。 シナベイ・ハマム(Sinabey) - トルコ人による15世紀末期の公共浴場で、町の南部に位置する。これは、ブルガリア南部で完全な形で保存されている遺跡としては最古の部類に属するものである。 時計塔 - 公共浴場の近くにあり、1874年に民族復興の象徴として建設された。 コステン教会 - カルノバトの町から北に20キロメートルのコステンの村にある。民族復興期の様式を保存し、興味深い神秘的な石のアートも有している。付近には、ブルガリア民族復興の英雄であるヴラツァの聖ソフロニイの胸像があり、ソフロニイが19世紀末に司教ストイコ・ヴラディスラヴォフ(Стойко Владиславов、Stoyko Vladislavov)としてカルノバト教区で活動したことを示している。 神学者イオアン教会(Църквата “Св. Йоан Богослов”、Tsarkvata "Sv. Ioan Bogoslov") - 1878年の後にトリャヴナの職人ゲンチョ・カネフ(Gencho Kanev)によって設立された。教会は木彫りのイコノスタシスを有しており、これは南ブルガリアではパザルジクの生神女教会のイコノスタシスに次いで重要なものとなっている。 モスク - 1821年に建てられた。 ユダヤ人の墓地 - ユダヤ人の墓地は町の南1キロメートルのところにあり、豊かなブルガリアの造形芸術や、ユダヤ人集落に関する多くの文献を有している。
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