株式会社虫プロダクションとは? わかりやすく解説

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株式会社虫プロダクション(旧虫プロ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 21:34 UTC 版)

虫プロダクション」の記事における「株式会社虫プロダクション(旧虫プロ)」の解説

株式会社虫プロダクション(通称: 虫プロ)は、1961年昭和36年6月手塚治虫創設したアニメーション専門プロダクションである「手塚治虫プロダクション動画部」が1962年昭和37年1月改称したのである1961年昭和36年)、手塚治虫プロダクション動画部を設立手塚はこれ以前に、東映動画嘱託としてアニメ制作携わったことがあり、その経験人脈生かしてプロダクション立ち上げた1962年昭和37年1月、株式会社虫プロダクションとして正式に発足した。名称の""には「漫画」「アニメ」「無死不死身)」の意味込められた。 1962年11月5日第1作である短編38分, カラーワイド)のアニメーション映画ある街角の物語』及び『鉄腕アトム』第1話モノクロ)ほか1作を公開同年12月株式会社として法人登記。翌1963年1月1日日本初30放送用の連続テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』を、1965年日本初カラー本格的連続テレビアニメ番組『ジャングル大帝』などの多くアニメ作品制作し(その後にも「どろろ」などのモノクロ作品制作)、従業員数最盛期には400人を数え日本有数のアニメーションスタジオになったテレビ向け作品多くフジテレビ放送された。 1966年7月社内版権部、出版部営業部分離独立させる形で子会社虫プロ商事発足させ、同時に虫プロ本体債務移転した詳細は「#虫プロ商事」を参照 『鉄腕アトム』放送実現機に萬年社退職して1963年昭和38年)に虫プロ常務就任し経営舵取り担い社内改革進めた常務の穴見薫が1966年昭和41年12月突然死する。これを機に経営迷走していく。その死の直後、穴見が独断フジテレビから1億3千万円の融資を受ける代償として、虫プロ全作品権利フジテレビ譲渡される契約をしていたことが発覚虫プロフジテレビとの交渉により、1978年昭和53年)まで10年間の放映権フジテレビ占有することを条件権利取り戻された。 初期には手塚原作作品のみを制作していたが、『アニマル1』『さすらいの太陽』『国松さまのお通りだい』『あしたのジョー』など手塚作品ではない漫画アニメ化行った手塚治虫原作作品2年間なかった状態に陥ったのは、手塚作品が受けなくなったというテレビ局側の判断第一だが、虫プロ内部事情もあった。多忙な手塚決裁を仰ぐ困難や、手塚からリテイク要求出てスケジュール遅延しコストかさんだり、番組放送に穴が開いて代わりに過去のエピソードリピート放送埋めるなどの原因となったことが、手塚制作加えないようにし、また手塚原作用いた作品を作らなくなった理由一つと言われるいずれにせよ0マン』『ノーマン』など手塚作品パイロット版制作してテレビ局採用しないとなれば虫プロ企業として維持していくためには非手塚原作作品やらざるを得ない状態だった。 1971年昭和46年6月手塚今後虫プロ方針として、「初心どおりに作家集団として進めるか、利益追求そのもの目的とする企業体とするか」を問いかけ繰り返し社員総会開催話し合い結果大多数社員川畑栄一部長中心とした利益追求企業体制を固めることで結論が出る。これに失望した手塚それまで赤字負担する条件社長辞任し同調して退社する人材相次いだ社長に川畑就任し資本金200万円から1,000万円増額労働組合結成された。 テレビアニメ制作プロダクション多く設立されると他プロダクションとの受注競争となり、これに敗れる形でテレビ局からの受注減少し人件費高騰もあり、次第資金繰り悪化する子会社虫プロ商事経営悪化労働争議も、金融機関虫プロ本体警戒を抱く原因となった劇場用作品哀しみのベラドンナ』の興行的失敗もあり、短期間のうちに資金繰り極端に悪化した1973年昭和48年8月22日子会社虫プロ商事が約4,000万円負債抱えて倒産この後銀行などからの融資引き上げられたことが倒産直接きっかけとされるが、実際には、子会社倒産回避できないほどに虫プロ本体経営状態悪化していた。同時点で同年9月放映終了するワンサくん以後制作作品目途立っておらず、既に虫プロ本体倒産免れない態となっていた。そして、虫プロは『ワンサくん放映終了直後同年11月5日に3億5千万円の負債抱えて倒産する前述のとおり、手塚原作作品制作割合少なくなってきた1971年昭和46年)、手塚それまで債務をすべて個人引き受けることを条件社長退任している。手塚本社社長退任した後、虫プロ倒産までは制作畑の川畑栄一虫プロ経営担っており、倒産時の社長川畑であった。この倒産から新社設立までの間に、多くスタッフは他のスタジオへと移籍していった。 倒産直前1972年12月には、鉄腕アトムイラストを「マスコットキャラクターとして限定的に使用する」ことで手塚および虫プロ合意していたプロ野球球団ヤクルトアトムズにおいて、球団後援会作成したグッズアトムイラスト使用したことが「正規虫プロ版権契約しているグッズ販売業者権利侵害」として問題になり、改め球団との間でグッズ販売契約話し合いを行うもまとまらなかった。このため球団手塚虫プロ謝意示した上で1973年1月から新ニックネーム検討入った5月には一度「ジャガース」が内定し後半戦からの変更発表したが、結局シーズン中変更見送りとなったシーズン終了後には、ニックネームも「ジャガース」を撤回して「ヤクルトスワローズ」に名称変更することを倒産直前10月26日発表した

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