虫プロ商事とは? わかりやすく解説

虫プロ商事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 21:34 UTC 版)

虫プロダクション」の記事における「虫プロ商事」の解説

虫プロ商事株式会社(むしプロしょうじ)は旧虫プロの子会社虫プロ負債抱えて経営上の問題抱えたためにその打破のために、版権部と出版部営業部虫プロから独立させる形で1966年7月27日設立。虫プロ商事社長には虫プロ専務取締役今井義章が就任して池袋駅近くビル発足虫プロ制作部門のみが残された。 設立目的は虫プロ負債処理もあり、設立同時に1億5千万円の虫プロ負債引き継いだが、1969年昭和44年)の5月決算でこの負債解消した『鉄腕アトム』ファンクラブ会報など制作海外販売などの営業グッズ著作権管理行った他、赤字体質虫プロの手本になろうとテレビアニメアニマル1』や特撮テレビ番組バンパイヤ』など制作にも挑んだが、『アニマル1』は赤字、『バンパイヤ』は大赤字結果に終わる。 会社としては出版業中心体制推し進め月刊雑誌COM』『月刊ファニー』、児童向け漫画レーベル虫コミックス』を創刊したが、『月刊ファニー』は編集長交通事故死して廃刊となり、これに伴う編集部門の人員整理1970年昭和45年5月上旬から6月中旬まで激し労使紛争に陥り業務停止態となり赤字となる。この責任により社長今井義章から手塚治虫へと交代した1971年昭和46年2月頃に企画制作部長に就任した西崎義展事実上社長代理となって実権掌握出版拡大方針人員増大組織統制化、不合理な原価改善を図るが、性急な改革専横態となり支持得られずに5月には資金繰り悪化一部業者から取引停止受けたり不当に高い買入強いられたり、従業員一部私利図った出勤状態が乱れ当時40名の従業員により結成され労働組合による労働争議発生するなど経営混乱状態になったこの間9月創刊した『月刊てづかマガジンれお』などの返本率は7割に達し1972年昭和47年4月には3億1千万円の負債抱えて第1回債権者集会開催された。債権者委員会経営にあたることとなり、代表取締役である手塚治虫漫画執筆専念して印税委員会入金することなどが決定された。 1973年昭和48年)には出版体制立て直しのため『COM』『ファニー』の復刊もされたが、資金繰り改善することはなく、政府金融引き締め影響もあって、1973年昭和48年8月18日2回目不渡り手形出して倒産負債額は1億2千万円。この信用不安虫プロ本体銀行からの融資ストップしテレビ局からの発注も完全に途絶え11月倒産した同年10月30日には債権者によって破産申立が行われ、1974年昭和49年1月29日東京地方裁判所により破産宣告なされた

※この「虫プロ商事」の解説は、「虫プロダクション」の解説の一部です。
「虫プロ商事」を含む「虫プロダクション」の記事については、「虫プロダクション」の概要を参照ください。

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