栖了院とは? わかりやすく解説

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栖了院

読み方:セイリョウイン(seiryouin)

宗派 浄土宗

所在 愛知県渥美郡渥美町

本尊 阿弥陀如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

栖了院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/08 22:09 UTC 版)

栖了院
所在地 愛知県田原市福江町上紺屋瀬古7-1
位置 北緯34度37分41.25秒 東経137度6分22.87秒 / 北緯34.6281250度 東経137.1063528度 / 34.6281250; 137.1063528座標: 北緯34度37分41.25秒 東経137度6分22.87秒 / 北緯34.6281250度 東経137.1063528度 / 34.6281250; 137.1063528
山号 間宮山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来像
創建年 永禄2年(1559年
正式名 間宮山栖了院
法人番号 6180305003096
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栖了院(せいりょういん)は、愛知県田原市に存在する浄土宗寺院

沿革

1559年永禄2年)、領主であった間宮直綱を開創として、間宮山金殿寺栖了院と称する[1]

享保年間に領主の戸田淡路守(大垣新田藩/野村藩参照)[注釈 1]が檀徒と共に本堂を再建し、昭和に入ってから修理を行い、位牌堂を改築して現在に至る。

境内には、移築された観音堂のほか、浄土宗開祖である法然上人の没後800年事業として建立された庫裏、納骨霊塔、東日本大震災による慰霊塔が建っている[2]。寺宝として、1736年元文2年)に莫取軒原常良が執筆した『畠村観音記』、並びに円空仏が伝わっている[3]

間宮家と戸田家

間宮家の菩提寺である。

渥美の間宮氏は、伊豆国田方郡間宮(現在の静岡県田方郡函南町間宮)を名字の地とする近江源氏佐々木氏)の支流であり、小田原北条家に仕えた間宮氏間宮康俊ら)と同族とされる[4]。間宮直綱の祖父「豊前守重綱」は北条家に仕えたが、父「兵庫頭正信」は今川家に仕えた[4]。直綱は永禄6年(1563年)に今川家を去って徳川家康に従い、天正6年(1578年)に没して栖了院に葬られた[5]。直綱のあと広綱―之等と続き、之等は元和5年(1619年)に退隠した[6]。なお、之等の子の正等、之等の弟である正照は、それぞれ尾張藩に仕えた。

間宮之等の娘の夫が旗本戸田氏経(大垣藩戸田氏鉄の次男。戸田氏は渥美に起源を有する一族である)で、氏経は之等の領地を譲り受けたとされ[6]、以後この地は幕末まで氏経の立てた家(戸田淡路守家)の領地であった。戸田淡路守家は、3代目の戸田氏成の時に本藩である大垣藩から新田分の分与を受け、1万石の大名となった(大垣新田藩)。戸田淡路守家は当地に畠村陣屋を構え(間宮氏の屋敷を引き継いだものともされる)、領地を治めた。当寺には大垣新田藩(野村藩)最後の藩主・戸田氏良の位牌が祀られている。

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ^ 享保年間の戸田淡路守家当主は、はじめ戸田氏成。享保4年(1719年)に氏成が没し、養子の氏房が家督を継承した。

出典

  1. ^ 富本時次郎ら編『帝国地名大辞典 第3巻』91頁(又間精華堂、1903年)
  2. ^ 東日本大震災の復興願い供養塔建立 田原市の栖了院で東愛知新聞 平成24年1月4日
  3. ^ 大礒義雄『芭蕉と蕉門俳人』370頁(八木書店、1997年)
  4. ^ a b 『渥美郡史 正編』, p. 392.
  5. ^ 『渥美郡史 正編』, p. 393.
  6. ^ a b 『渥美郡史 正編』, pp. 654–565.

参考文献

  • 愛知県渥美郡『渥美郡史 正編』愛知県渥美郡、1923年。NDLJP:978684 


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