日本の簪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 06:04 UTC 版)
時代の変化や髪形によって、様々なかんざしが作られてきた。季節ごとの花や事物の取合せのみならず、伝統に基づく複雑な約束事が存在する。舞妓や半玉が月ごとに身に着ける十二ヶ月のつまみ簪(花簪)はその顕著な例である。詳細はこの次の項で。 平打簪 平たい円状の飾りに、1本または2本の足がついたもの。後に耳かきがつけられた。武家の女性がよく身につけた銀製、あるいは他の金属に銀で鍍金したものは特に銀平(ぎんひら)とも呼ばれる。かつては平たく延ばした金属から切り出していた。武家の女性なら自家の家紋を入れていたが、江戸後期の芸者の間には自分の紋ではなく、貞節を誓う想い人の家紋を入れるのが流行したという。木製や鼈甲製、現代ではプラスチック製など様々な素材で製作されている。 玉簪 最もポピュラーな簪で、耳かきのついたかんざしに玉を1つ挿してあるだけのものをいう。当初実用であった耳かきは、その後デザインとして残されている。飾り玉には様々なものが用いられた。サンゴ、メノウ、ヒスイ、鼈甲、象牙、幕末頃にはギヤマン(硝子)、大正頃にはセルロイドなども登場している。かんざしの足も1本足と2本足のものがある。京都の花柳界では普段は珊瑚玉を挿し、翡翠玉は夏に用いるしきたりがある。玉が大きいものほど若向き。 チリカン 芸者衆などが前差として用いる金属製の簪の1つ。頭の飾り部分がバネ(スプリング)で支えられているので、ゆらゆらと揺れるのが特徴。飾りが揺れて触れ合い、ちりちりと音を立てることからこの名称がある。飾りの下側には細長い板状のビラが下がっている。 ビラカン 「扇」(おうぎ)、「姫型」とも呼ばれる金属製の簪。頭の部分が扇子のような形状をしているものや、丸い形のものがあり、家紋が押されている。頭の平たい部分の周りに、ぐるりと細長い板状のビラが下がっている。耳かきのない平打に、ビラをつけたような形状。現代の舞妓もこれを用い(芸妓になったら使用しない)、前挿しにする。その場合、右のこめかみ辺りにビラカン、左にはつまみかんざしを挿す。 松葉簪 主に鼈甲などを使ったシンプルな簪で、全体のフォルムが松の葉のようになっているもの。関東(吉原)の太夫用のかんざしセットの中にも含まれる。 吉丁 「よしちょう」と読む。いわゆる耳かきだけの細長いかんざし。名称の由来は日本橋芳町(現在の人形町の一部)の芸者衆が使ったからともいわれるが不明。素材も金属製、鼈甲が主流であった。現在では金属やプラスチック製のものが多い。既婚女性などは左のこめかみあたりに1本、シンプルに挿したようである。芸者が2本以上の着用を許されなかったのに対し、遊女は多くの吉丁を髮へ装着していたことで見分けることができる。表面に彫りを施したものや飾りのついたものも数多くあるが、当初実用であった耳かきはその後デザインとして残されている。ちなみにその耳かきの形状について、関東では丸型、関西では角型のものを使ったとされる。 びらびら簪 江戸時代(寛政年間)に登場した未婚女性向けの簪。本体から鎖が何本も下がっていて、その先に蝶や鳥などの飾り物が下がっている派手なもの。裕福な商人の娘などが使ったもので、既婚者や婚約を済ませたものは身に付けない。天保二年から三年頃には、京阪の裕福な家庭の若い子女の間で、鎖を七・九筋垂らした先に硝子の飾り物を下げた豪勢なタイプが人気を博していたと記録されている。本格的に普及したのは明治以降である。左のこめかみあたりに挿す用途のものとする。 つまみかんざし 「#つまみ簪・花簪」も参照 布を小さくカットしたものを、折りたたみ、竹製のピンセットでつまんで糊をつけ、土台につけていき、幾重にも重ねたりなどして花を表現する。これをまとめてかんざしにしたものをつまみかんざしという。多くは花をモチーフにしているので「花簪」ともいう。布は正絹が基本で、かつては職人が自分で染めから手掛けていた。布製のため昔のものは残りにくい。その辺りも花らしいといえる。現代では舞妓たちが使うほか、子供の七五三の飾りとして使われることが多い。少女向け。 鹿の子留 手絡(髷を抑えたり飾るための布、鹿の子絞りを施した縮緬が良く使われる)を留めるために使われる短い簪。一般的な簪とは逆に、飾り部分に対して髪に刺す部分が垂直に付いている。舞妓が用いるもので、細かい細工の銀製かプラチナ製の台にヒスイやコハクなどの宝石をあしらったり、七宝を施すなどした非常に高価な芸術品である。舞妓が自分で購入するものと言うよりひいき客の贈り物である場合が多いが、どちらにせよ、彼女らの人気や客筋の確かさなどを表すバロメーターと見なされる。舞妓でも年少の者の髪型「割れしのぶ」で用いられ、2箇所の本体突起部が髷(まげ)を支える構造となっている。「割れしのぶ」の髷の中心に装着する。 位置留 「橋の毛」と呼ばれるヘアピースを固定するためのごく短い簪。 薬玉(くすだま) つまみかんざしの一種で、布製(本来は正絹)の花弁で作った薬玉のような丸い形の飾りが付いた簪。十代の少女が使う。 立挿し 鬢(びん)の部分に縦に挿す簪。留め針が長い。団扇を模した夏用の団扇簪などが有名。鬢を張り出すようになった江戸中期以降のもの。 両天簪 簪本体の両端に対になる飾りがついた形のもの。飾りは家紋や花などがほとんどで、かなり裕福な家庭の若い女性や少女が主に用いた。 銀製葵簪 天保七年・八年頃の江戸で流行した簪。銀の平打ちで小さな二葉の葵を模したシンプルながら愛らしいデザインで、未婚の若い女性から若い遊女までに用いられた。 武蔵野簪 天保十一年から十二年のごく短い間に流行した珍奇な簪。本体は竹製で鳥の羽を飾りに用いた。使用者は未婚の若い女性から若い遊女までに及ぶが、おもな材質が竹と鳥の羽だけという素っ気なさからか、一般的に愛用された銀製の簪のようには行かず、ちょっとしたイベントなどで戯れで挿すものであった。「武蔵野」の名称の由来は不明だが、鳥の羽を薄に見立てたものだろうか。 江戸銀簪 江戸時代中期後半から明治期まで江戸(東京)で広く愛用された銀製で四寸前後の短めの簪。初期のタイプは長めで五寸から六寸であったが、江戸後期に入ると短めのものが主流となった。多くは玉簪で飾りには珊瑚や砂金石の玉や瓢箪などを飾るのが多い。また、飾り簪とも呼ばれる平打簪と同じ技法でモチーフに趣向を凝らしたものもあり、優雅な花鳥風月にとどまらず、俵や団扇など身近にある器物や野菜や小動物などもモチーフになる。飾りのつかないものも含まれる。本体は銀無垢が普通だが、江戸時代後期には上方風の金メッキを施したものも登場。下半分は銀で見える部分には赤銅に金象嵌を施した華麗なものもあった。銀簪というものの、真鍮や鉄のような卑金属を用いたものも含まれるが、銀ほど一般的ではない。かつてはそれなりに広く用いられていた真鍮製のもの江戸時代後期ともなると野暮と嫌われ、江戸住まいであれば貧しい家庭の婦女といえども身につけなかったといわれる。真鍮の簪は、主に田舎から出稼ぎに来たばかりの若い貧しい女性たちが使っていた。逆に鉄簪は、一流の職人の手になる細工の凝ったものであれば、かえって銀よりも落ち着いた輝きが粋とされて粋好みの芸者にもてはやされた。
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