理研科学映画
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理研科学映画株式会社(りけんかがくえいが)は、かつて存在した日本の映画製作会社である。
- 1 理研科学映画とは
- 2 理研科学映画の概要
新理研映画(1952年 - 1960年代末)
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「理研科学映画」の記事における「新理研映画(1952年 - 1960年代末)」の解説
1952年4月、日米映画社を合併。5月、新理研映画として再出発。犯罪捜査を扱った青戸隆幸監督、警視庁後援のセミ・ドキュメンタリー『青い指紋』(64分・35mm・新東宝配給)。同年、西村元男監督・三木のり平ら出演『拾った人生』(新東宝)公開。同年8月 ニュース映画の合併で、「理研文化ニュース」終刊。続いて、毎日新聞社提供の「毎日世界ニュース」の製作を開始。大映配給。小田基義監督、山本嘉次郎ら脚本、徳川夢声、左幸子、千代ノ山出演『三太と千代の山』(大日本相撲協会映画部との共同製作・新東宝)公開。 1953年、毛利正樹監督の劇映画『強妻キュット節』(新東宝)公開。 1954年、豊田敬太監督の劇映画『段々畑の人びと』製作、木村健二郎指導による科学映画『死の灰』(23分・16mm)製作。ビキニ核実験海域の調査船の活動を記録した『俊鶻丸の記録』製作。 1956年、松本俊夫監督の実験的PR映画『銀輪』、『潜凾』製作。 1957年、松崎啓次ら製作、吉村廉・古賀聖人監督、英百合子、左幸子ら出演の劇映画『激怒する牡牛』(新東宝)。同年、内閣調査室のメンバーがソ連国内の情報を得るために偽名と、「理研映画社の社員」と詐称し、ソ連に渡る。 1958年、『村にもテレビ』、『大自然のはばだく』(松竹配給)製作。 1959年、『日本の原子力』(企画=日本原子力研究所)、日本紹介映画コンクール特別賞受賞。同年、松本俊夫退社。 1960年7月、「毎日世界ニュース」が「大毎ニュース」に改題。同時にシネマスコープとなる。 1962年、『若戸大橋』(企画=日本道路公団)が教育映画祭最高賞、日本産業映画コンクール奨励賞。『原子力と農業』(企画=日本原子力研究所)が科学技術映画入選。 1963年、『世紀の若戸大橋』(企画=北九州市)がキネマ旬報短編映画ベストテン第9位。『東海道新幹線』(企画=日本国有鉄道)が日本紹介映画コンクール銀賞。同年3月、原子力知識普及映画「原子力と医学」が科学技術庁原子力局、日本原子力研究所の共同企画、原子力委員会の監修で完成。 1965年、赤佐政治監督『長篇記録映画 動乱のベトナム』製作。 1966年、千葉真一主演で遠藤実の半生を映画化した『太陽に突っ走れ』(東映配給)の製作協力。 1967年、『青函トンネル』(企画=日本鉄道建設公団)が日本産業映画コンクール奨励賞。『都市の中の漁師たち』、『半導体』(企画=科学技術庁)が東京都教育映画コンクール銀賞、日本産業映画コンクール日本産業映画賞。この年で「新理研映画」の歴史が終わる。
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