政治的展開
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ルワンダ愛国戦線は1994年7月に軍事的勝利を収めた後、ルワンダ虐殺以前にジュベナール・ハビャリマナ大統領が設立した連立政権と同様の連立政権体制を構築した。挙国一致内閣と呼ばれるこの内閣の基本的な行動規範は、憲法、アルーシャ協定、各政党の政治的宣言を基礎に置いていた。旧政権与党であった開発国民革命運動は非合法化された。また、新たな政党の結成は2003年まで禁止された。さらに政府は民族、人種、宗教に基づく差別を禁止し、出身民族を示すIDカードの廃止を行ったほか、女性の遺産相続権限の許可や女性議員の比率増加を目的としたクオータ制の導入といった女性の権利の拡大、国民の融和などを推進している。なお上記のクウォーター制導入により、ルワンダ政府は2010年3月時点で女性議員の割合が56%と世界で最も高いことが知られている。 1998年3月、アメリカのクリントン大統領はルワンダを訪問し、同国のキガリ国際空港の滑走路へ集まった群衆に対し「我々は今日、我々アメリカと世界各国が出来る限りのことをせず、また、発生した行為を抑えるための行動を充分に行わなかった事実も踏まえた上でここへ訪れました。」と述べ、さらに虐殺当時のルワンダに対し適切な対応を行わなかった点に関して自身の失敗を認め、現在では"クリントン大統領の謝罪" (Clinton's apology) として知られる謝罪を行った。もっとも、この謝罪はその後に発生した国際紛争や虐殺の抑制には何ら影響を与えなかったと言われるが、ルワンダ国内ではジェノサイドの企てに対する国際社会からの強い叱責と受け止められ、同国民に肯定的な驚きを与えた。 ルワンダは大規模な国際的援助を受け、政治改革を行った上で、外国人と地元投資者による投資の促進や、農業生産力の向上、国内民族の融和促進といった課題に取り組んでいる。2000年3月にパストゥール・ビジムングが大統領を辞職するとポール・カガメがルワンダ共和国大統領へ就任した。2001年3月にはルワンダ虐殺以後初となる秘密選挙形式の地方選挙が行われた。また、2003年8月には初の複数候補者による大統領選挙が、同年9月から10月にかけて上院・下院の議員選挙が行われ、結果として大統領選挙でカガメが当選し、議員選挙ではルワンダ愛国戦線が過半数を獲得した。その後、2008年9月にも下院議員選挙が行われ、ルワンダ愛国戦線が勝利を納めている。現在は、大規模な難民の帰還による人口の急増や、過激派フツ武装勢力によるゲリラ攻撃への対処、および近隣のコンゴ民主共和国で1996年から2003年にかけて行われた第一次コンゴ戦争および第二次コンゴ戦争とその後の余波への対処などに取り組んでいる。
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政治的展開
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「スカンディナヴィア半島」の記事における「政治的展開」の解説
詳細は「スウェーデン=ノルウェー」を参照 北欧諸国は1000年以上の間、個別の政治的集合体として歴史を過ごしているが、国家間の国境はそれに遅れて徐々に明確化された。17世紀半ばに初めてスウェーデンはカテガット海峡の安全な外港と、南のバルト海沿岸の支配権を得た。スウェーデンとノルウェーの国境は最終的に1751年に確定された。スカンディナヴィア半島上のフィンランドとノルウェーの国境は1809年の広範な交渉の後、確定された。そしてノルウェーとロシアの共有地は1826年に分割された。それでもなお国境は流動的であり、1920年にフィンランドはバレンツ海へのアクセスを得たが、この地域は1944年にロシアに割譲された。 デンマーク、スウェーデン、そしてロシア帝国は数世紀にわたりスカンディナヴィア半島の政治的関係を支配し、アイスランド、フィンランド、そしてノルウェーは20世紀の間にようやく完全な独立を得た。ノルウェー王国(長くデンマークとの同君連合であった)はナポレオン戦争の後、スウェーデンの手に落ち、1905年に完全独立したに過ぎない。1809年からロシア帝国で自治を行う大公国であったフィンランドは、1917年のロシア革命の間に独立を宣言した。アイスランドはデンマークがナチス・ドイツの占領下にあった1944年にデンマークからの独立を宣言した。アイスランドの独立はナチスの侵略からアイスランドを守っていたイギリス軍とアメリカ軍によって勧奨された。 ドイツ国防軍は1940年にノルウェーを侵略し、1945年までノルウェー全土を占領下に置いた。スウェーデンの黙認の下、ドイツの軍隊はスウェーデン領を通過してノルウェー北部へ移動し、ドイツの同盟国となったフィンランドへ入った。1941年の春、ドイツ軍とフィンランド軍は共にソ連へ攻め込んだ。フィンランド共和国はソ連に対して怨恨を持っていた。赤軍が冬戦争(1939年-1940年)においてフィンランド南東部を侵略し、フィンランドから広大な領土を奪ったためである。 スウェーデンは第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、そして冷戦において中立国であり続けた。2013年現在もその中立政策を維持し続けている。 1945年にノルウェー、デンマーク、そしてアイスランドは国際連合の創設メンバーとなった。スウェーデンはすぐ後に国連に加わった。フィンランドは1950年代に国連に加わった。最初の国連事務総長、トリグブ・リーはノルウェー国民であった。2代目の国連事務総長、ダグ・ハマーショルドはスウェーデン人であった。このように、スカンディナヴィア半島の人々は20世紀の間、国際問題に大きな影響力を持っていた。 1949年、ノルウェー、デンマーク、そしてアイスランドはドイツ、ソ連、そしてあらゆる潜在的侵略者から自国を守るため、北大西洋条約機構(NATO)の創設メンバーとなった。この三つの国は2011年現在もNATOのメンバーとして残っている。 スウェーデンとフィンランドは1995年にヨーロッパ連合(EU)に参加した。だが、ノルウェーはEUに参加していない。
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