政治的姿勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 14:56 UTC 版)
バコールは筋金入りのリベラルな民主主義者で、様々な場面でその政治的信条を公言してきた。バコールとボガートは、下院非米活動委員会に対して「赤狩り」に抗議する公開電文を連名で送った、約80名からなるハリウッド業界人のメンバーである。この電文には、個人的な政治信条を調査することがアメリカ民主主義の根幹を揺るがす暴挙だと謳われていた。1947年10月にバコールとボガートは、多くのハリウッドスターたちと共にワシントン D.C. へ向かった。自ら「言論自由の会 (en:Committee for the First Amendment)」と名乗ったこのグループには、ダニー・ケイ、ジョン・ガーフィールド、ジーン・ケリー、ジョン・ヒューストン、アイラ・ガーシュウィン、ジェーン・ワイアットらが参加していた。 1948年5月に発行された「フォトプレイ誌 (en:Photoplay)」にはボガートが書いた「私はコミュニストではない」という題名の記事が掲載されており、その最後のページにはバコールとボガートの写真が添えられている。これはボガートが下院非米活動委員会へ対抗してきたことによってもたらされた、否定的な評判を緩和しようとするためのものだった。ボガートとバコールは、下院非米活動委員会からの召喚や証言を拒否して有罪判決を受けた、いわゆるハリウッド・テンのメンバーたちから距離を置くようになった。ボガートは「下院非米活動委員会を侮辱したとして出頭を命じられた10人の男たちを我々は守りきれなかった」また、「私たちはジョン・エドガー・フーヴァーと同じくらいにはコミュニズムを支持している」と語っている。 バコールは1952年の大統領選挙に立候補した民主党のアドレー・スティーブンソンで応援演説を行い、ボガートとともにスティーブンソンの車でのパレードにも参加した。また、大統領選挙最終週には、スティーブンソンの応援のために飛行機でニューヨークとシカゴにも足を運んでいる。2005年にラリー・キングから受けたインタビューで、バコールは自身のことを「アンチ共和党……。私は自由主義者です。愛していると言ってもいいでしょう」としている。さらに「自由主義者であることはこの世で最もすばらしいことです。自由主義者であれば、どこに行っても大歓迎されることでしょう。心を広く持つことができます」と語った。
※この「政治的姿勢」の解説は、「ローレン・バコール」の解説の一部です。
「政治的姿勢」を含む「ローレン・バコール」の記事については、「ローレン・バコール」の概要を参照ください。
「政治的姿勢」の例文・使い方・用例・文例
- 政治的姿勢のページへのリンク