ザ・ボブ・シーガー・システム
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「ボブ・シーガー」の記事における「ザ・ボブ・シーガー・システム」の解説
カメオ=パークウェイレコードの倒産後、1968年春に、ボブ・シーガー&ザ・ラスト・ハードは大手キャピトルレコードと契約する。モータウンレコードからも好条件のオファーを受けていたが、シーガーは「キャピトルのほうが自分の音楽ジャンルに合っている」と判断した。 キャピトルレコードの提案により、バンド名をザ・ボブ・シーガー・システム(The Bob Seger System)に変更する。ファーストシングル「2 + 2 = ?」は反戦についての曲で、かつての「The Ballad of the Yellow Beret」から一転したシーガーの政治的姿勢の変化を見ることができる。この曲は地元デトロイトや一部の都市のラジオ局ではヒットしたが、全米チャートにランクインすることはなかった。カナダでは最高79位を記録している。 ボブ・シーガー・システムの2枚目のシングル「ランブリン・ギャンブリン・マン(Ramblin' Gamblin' Man)」は、まずミシガン州で火がつき、その後全米シングルチャートで最高17位にランクインされ、シーガー初の全国ヒットとなった。この成功を受けて、1969年にアルバム『Ramblin' Gamblin' Man』を発表し、ビルボードのアルバムチャート62位を記録する。なお、「ランブリン・ギャンブリン・マン」でギターとバックボーカルを担当したグレン・フライ(この2年後にイーグルスを結成)にとって、これが初めてのスタジオセッション作だった。 しかし、この成功は続かなかった。同年に発表された次作『Noah』はチャートに入ることなく商業的失敗に終わる。その後、シーガーは一旦音楽業界を離れて大学に通い始めた。翌年、シーガーは復帰して『Mongrel』を発表。これがボブ・シーガー・システムのラストアルバムとなった。 2006年、ボブ・シーガー・システムはミシガン州ロックンロール・レジェンドの殿堂入りを果たしている。
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