商業的失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/19 01:06 UTC 版)
「富士自動車・フジキャビン」の記事における「商業的失敗」の解説
フジキャビンは1956年(昭和31年)8月から生産開始された。価格は23万5,000円で、2人乗りの自動車としては廉価ではあったが、操縦性や乗り心地が悪いうえに換気が悪く、夏はひどく暑くなり、冬になってもヒーターがないという実態は、まったくの「屋根付きスクーター」に過ぎなかった。新素材であったFRPでのボディ生産技術が未熟で、硬化工程を長く要するため量産性も悪いという根本的課題を抱えており、悪路の多かった当時は、ショックを自ら受け止めるモノコックのFRP車体にクラックも多発、メーカーはこれによるクレーム対策にも追われた。 生産性や商品性に問題が多かったことは否めず、結局フジキャビンは、十分な量産体制を確立できないまま、翌1957年(昭和32年)12月までに85台を生産したところで製造が中止された。半成品のFRPボディが数十台分残り、用途もないため大部分が破砕されたとされる。鋼製サブフレーム上にFRPボディを乗せ、エンジンも強力な物へ変更する、より堅実な構造への改良も検討されていたが、試作には至らなかった。 富士自動車は1961年(昭和36年)の全日本自動車ショウにガスデンミニバンEM36(市販化は果たせなかった)を出品するまで、自動車製造から一時撤退を余儀なくされた。 生産台数は極めて少ないが、屋外でも構造劣化しにくいFRP素材の特性からボディ腐朽による損耗・全スクラップ化を免れた一面もあり、トヨタ博物館と日本自動車博物館に実車が保存されているほか、愛好家による少数の保有・復元再生事例があるなど、辛うじて少数の実車が残されている。
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