商業的失敗と生産・販売終了
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 07:34 UTC 版)
「マツダ・ロードペーサー」の記事における「商業的失敗と生産・販売終了」の解説
価格がセンチュリーやプレジデントをも上回っていたことや、令和現在の高級車に相当するボディサイズは1970年代当時としては極めて巨大であったことからユーザーには敬遠され、販売不振であった。ロータリーエンジンは、1975年当時の日本で進行中であった厳しい自動車排出ガス規制にも対処が容易であったため、当初は官公庁からの若干の需要もあったが、それも限られたものであった。 高価格のほか、本来、日本向け高級車のデザインではなかったボディを流用したモデルで、スタイリング面で日本の想定ユーザー層の好みに合わなかったことや、従来、大衆車・商用車販売を主としてきたマツダの既存販売網が大型乗用車の需用者への営業力を欠いたことも不振の一因ではあった。 しかし何よりも、自動車としての成り立ちがあまりにもアンバランスであったことがロードペーサーの問題点であった。ベースとなったホールデンHJは、本来、大型アメリカ車同様に大排気量で低回転域から大トルクを発揮するエンジンが搭載されるクラスであり、最低のベースモデルでも直列6気筒2.8-3.3L、標準モデルで4.2L、上級モデルで5.0-5.7LのV型8気筒レシプロエンジンが搭載されていた(バッジエンジニアリング車であったいすゞのステーツマン・デ・ビルは5.0L240ps/43.6kgmのエンジンをそのまま搭載しており、ボディに見合った性能を確保していた。マツダがそれに見合う280ps/41.0kgmのロータリーエンジンを開発したのは15年後の平成2年のことであった)。 そのような大きく重いモデルのボディに、軽量高回転だが135ps/19.0kgmのロータリーエンジンを搭載しても、自動変速機のトルクコンバーターでトルク増大を図ったところでなお実用上の動力性能が甚だしく不足し、高回転ゆえ燃費は非常に悪くなったのである。これは力のあるV型8気筒4Lクラスのエンジンを搭載し、十分な動力性能を得ていたセンチュリーやプレジデントに比べ、致命的な短所であった。 その後、1977年(昭和52年)に3代目ルーチェレガートが発売された。この新型ルーチェは、ボディサイズの拡大で見た目の高級感が増し、なおかつ日本における5ナンバー規格に収まり、ロータリーとレシプロ双方のエンジンが選択できる市場適合性から、マツダにとっての最高級ポジションを担う格好となり、ルーチェよりも価格が圧倒的に高く、販売も低迷していたロードペーサーの生産は打ち切られた。以降は1979年(昭和54年)まで在庫車による新車販売が行われたに留まった。 総生産・販売台数は799台。
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