バッジエンジニアリング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/05 04:29 UTC 版)
バッジエンジニアリング(Badge engineering)は、自動車業界において兄弟車・姉妹車を別の販売網で売るために商品名やエンブレム、いわゆる車名やブランド名のバッジを変えて販売する手法。
- ^ a b OEM 日刊カーセンサー
- ^ いすゞ・ジェミニやGM大宇・ラセッティのようにグループの世界戦略車として仕向け地別にブランドや名称を変えて販売されるケースもある。
- ^ かつてCAFE基準が定められた際、アメリカのメーカーが日本車を自社ブランドで販売することがあった。
- ^ ジオやアスナの各車種はいすゞ、大宇自動車などの生産する輸入車であったがアメリカ車(GM車)と見なされたため関税が掛からず、廉価な設定となった。
- ^ 時に、トヨタ・デュエットや日産・オッティのように、本家(左記の事例では、それぞれダイハツ・ストーリアと三菱・eK)より姉妹車の方がメーカーのネームバリューや販売力の差などにより多く売れるという逆転現象が起こることもある。
- ^ 元々クリッパーは三菱・ミニキャブ(/タウンボックス)のOEMだったが、当のミニキャブ自体がスズキ・キャリイのフルチェンジを機にキャリイ/エブリイのOEMに切り替わった。その結果、クリッパーもキャリイ系のOEMとなり、キャリイ系は元来そのOEMだったマツダ・スクラムと並び日本車でまれに見る4姉妹車種となった。
- ^ 2016年12月までトヨタ車体製。
- ^ MiEV電気自動車を除く
- 1 バッジエンジニアリングとは
- 2 バッジエンジニアリングの概要
- 3 概要
- 4 バッジエンジニアリングの一覧
- 5 脚注
バッジエンジニアリング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/06 07:03 UTC 版)
「デイムラー」の記事における「バッジエンジニアリング」の解説
1966年、親会社のジャガーはブリティッシュ・モーター・コーポレーション(略称BMC)に吸収され、デイムラーのバッジエンジニアリング路線が加速する。1966年登場の「ソヴリン」以降はエンジンもジャガーと共通化され、「en:Daimler DR450」は1968年に生産終了となった。 1968年から1992年にかけて製造・販売された「デイムラー・DS420」を唯一の例外として、すべてのデイムラーの車種は、ジャガーのバッジエンジニアリングモデルで占められるようになる。 この時期のデイムラーは2階建てバスやトラックなどの製造を行なっていたものの、こと乗用車部門に関しては、デイムラーとジャガーの違いを見分ける主な術はフルーテッド・グリルのみとなっていった。
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