DC-7Cの開発と商業的失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/13 10:23 UTC 版)
「ダグラス DC-7」の記事における「DC-7Cの開発と商業的失敗」の解説
カスタマーたる航空会社からの更なる性能向上要求は、DC-7に後発設計のボーイング377も搭載した新型エンジン、P&W・R-4360搭載を促した。しかしR-4360もまた騒音・振動の問題が大きいエンジンであり、本来、機体構造の新規設計が必要だった。だが開発時限からダグラス社は抜本的新設計に踏み切れず、大幅なリニューアルで、大西洋無着陸横断路線用DC-7C型(愛称「セブンシーズ(Sevenseas)」)を開発した。 DC-7B型を導入中のパンアメリカン航空は未納発注分振替で、またDC-7B型の購入を見送った長距離路線オペレータの日本航空、スカンジナビア航空やスイス航空などが相次いでDC-7C型を発注、7Cは1956年のパンナムのニューヨーク - ロンドン間大西洋無着陸横断路線を皮切りに、大手航空会社の主要長距離路線に就航した。 これに先立ち、1952年に世界初の定期便用ジェット旅客機デ・ハビランド DH.106 コメットが就航、世界各国の主要航空会社からの注目が集まっており、追随してのジェット旅客機開発に欧米の航空機メーカー複数が着手していた。パンアメリカン航空や日本航空、スカンジナビア航空もジェット機を発注しており、劣速のレシプロ機であるDC-7型シリーズは注文頭打ちが予想され、ダグラスもジェット4発旅客機DC-8型の急速な開発製造を進めたが、レシプロ旅客機分野でコンステレーション・シリーズを擁するロッキードとのダンピング競争はダグラスの財力悪化に追い打ちをかけ、マクドネル・エアクラフトによる救済合併の原因となった。 DC-7Cとそのライバルであるロッキード「スーパーコンステレーション」「スターライナー」は、既に1950年代中期時点で、大型ジェット旅客機導入までの「つなぎ」として生産される過渡的な機体になっていたが、結果的にレシプロエンジン旅客機の大型高出力化や速度向上の限界を、商業運航される実機として如実に示す羽目にもなり、幹線航空輸送の役割を、名実ともにジェット旅客機に早期に譲るに至った。
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