DC-8導入までのリリーフとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/13 10:23 UTC 版)
「ダグラス DC-7」の記事における「DC-8導入までのリリーフとして」の解説
日本では、当時唯一国際線の運航が認められていた日本航空が、DC-6B型の後継機として正式発注していたジェット機・DC-8型機導入までの長距離国際線の主力機として1956年4月12日に導入を決定し、1957年12月23日に初号機の「City of San Francisco」(JA6301)を受領、翌1958年2月12日より太平洋横断路線である東京 - サンフランシスコ線に就航した。DC-6B型が日本の都市を愛称にしていたのに対し、DC-7C型では海外の就航地を愛称に採用している。 ダグラス社からこれより前に納期が早いDC-7(A)/B型機の導入働きかけがあったが、当時の主力機材DC-6B型機からの代替または増機追加のどちらを考慮しても利点は多くないと判断した日本航空はその時点では断った。追ってのDC-7C型機のオファー時点では、既にジェット旅客機DC-8型機を発注済みだったが、航路で競合するパンアメリカン航空やノースウエスト航空が7C型導入を決め、その対抗上から止むを得ず採用となった。 東京からホノルルへの無着陸飛行が可能なDC-7C型機の導入により、東京 - サンフランシスコ線の飛行時間は、実飛行時間は冬期で約19時間、夏期で約21時間となり、ウェーク島経由だったDC-6B型と比べ約4時間半の飛行時間短縮が実現した。翌1959年には、東京 - ロサンゼルス線およびシアトル線、さらに定期チャーター便として運航されていたサンパウロ線でも使用され、DC-6B型機に代わる主力機として運航された。
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