マクドネル・エアクラフト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/30 02:02 UTC 版)
![]() | |
業種 | 航空宇宙 |
---|---|
その後 | ダグラス・エアクラフトと合併 |
後継 | マクドネル・ダグラス |
設立 | 1939年 |
創業者 |
ジェームズ・スミス・マクダネル ![]() |
解散 | 1967年 |
本社 | アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス |
製品 | 航空機 |
マクドネル・エアクラフト(McDonnell Aircraft Corporation )はアメリカの航空機メーカーである。1967年にダグラス社と合併してマクドネル・ダグラスになった。マクダネルの表記揺れあり。
1938年ジェームス・マクドネル(James Smith McDonnell)によって、ミズーリ州セントルイスに設立された。第二次世界大戦によって発展し、新興メーカーのためジェット戦闘機に対する取り組みが早かったので戦後F-4 ファントムIIなどで有力な戦闘機メーカーになった。開発した機体の愛称を亡霊もしくはそれに類するもので統一していたことでも知られる。
主な製品及びプロジェクト
- XP-67 バット
- FD/FH-1 ファントム
- F2H バンシー
- XF-85 ゴブリン パラサイト・ファイター
- XF-88 ブードゥー
- F3H デーモン
- F-101 ブードゥー
- F4H/F-4 ファントムII、F-110 スペクター
- マクドネル 119/220
- XV-1 コンバーチプレーン
- XH-20 リトル・ヘンリー
- XHJD-1 ワラウェイ
- マーキュリー計画
- ジェミニ計画
関連項目
マクドネル・エアクラフト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 23:31 UTC 版)
「ギュンター・ウェント」の記事における「マクドネル・エアクラフト」の解説
マクドネル社のエンジニアとして、ウェントは1961年以降のマーキュリー計画とジェミニ計画の有人宇宙飛行で、ケネディ宇宙センター(KSC)の発射台での準備を監督した。宇宙飛行士たちからは、ウェントは「幸運の人物」と見なされるようになった。宇宙船のハッチを閉めるウェントは、宇宙飛行士が打ち上げ前に見る最後の人物であり、乗組員と冗談を交わす顔は頼もしく見えた。 ウェントは、乗組員の乗り込みと固定、宇宙船の計装・スイッチ・制御が発射に適していることの確認、ハッチの固定を担当する発射台のホワイトルーム(英語版)の最終責任者だった。ウェントの許可なしにホワイトルーム内の物に触ることは許されなかった。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}私が偏狭だなんてことはありません。私のやり方でやれば、まったく問題はありません。 —ウェント かつて頑固なエンジニアが、ウェントの許可を得ずに、勝手に宇宙船の設計を変更しようとした。ウェントは警備員を呼び出して彼を連れ去らせた。 (警備員の)男がエレベーターにやって来て、彼は(そのエンジニアに)「あなたは私に手錠をかけられたいですか? それとも一人で行きますか?」と訊ねました。そのエンジニアはあごを落とし(て驚き)ましたが、彼は連れ去られました。このシステムは間違っているかもしれませんが、私はそれでかなり良い成功を収めています。うまくいかないなら私の方が出て行きます。妥協することはできません。 —ウェント ユーモアのセンスで知られるピート・コンラッド宇宙飛行士は、かつてウェントについて次のように述べている。 ギュンターと仲良くするのは簡単です。 あなたがしなければならないことは、彼に同意することだけです。 マーキュリー計画の宇宙飛行士のジョン・グレンは、ウェントのことを親しみを込めて「発射台の総統」(der Führer of der Launch Pad)とドイツ語混じりの英語で呼んでいた。これは、発射台クルーに対する、効率的で、規律がありながら、ユーモアのあるリーダーシップに敬意を評したものだった。機器の構成管理と安全への取り組みに対する彼の厳格なアプローチは宇宙飛行士に歓迎され、その尊敬を集めた。グレンのマーキュリー計画での飛行の前に、ウェントはグレンの妻を安心させようとして、次のように言った。 アニー。我々はジョンの安全な帰還を保証することはできません。これはおそらく嘘です。誰もあなたにこれを保証することはできません。関係する機械が多すぎます。私があなたに保証できるたった一つのことは、宇宙船が離陸するとき、それは打ち上げのために可能な限り最高の状態にあるということです。万が一、宇宙船に何かあったら、事故のことを話して、真っ直ぐに私を見て「私達は最善を尽くした」と言ってもらいたいと思います。そうすれば私の良心は明確になり、私のガイドラインがどこにあるのかがわかります。 1967年1月、NASAはアポロ計画の請負業者をノースアメリカン(まもなくノースアメリカン・ロックウェルになる)に変更した。しかし、ウェントはマクドネル社に在籍したままだった。そのため、この期間に発生した、宇宙飛行士3人がテスト中に死亡したアポロ1号の火災事故には一切関与していない。事故後、実際にはウェントは事故現場にいて、致命的な問題を把握しており、それが入っていれ悲劇を回避できたと言う者が何人かいた。しかし、ウェント自身は、そんなことは誰も信じないだろうと思っていた。 私はそのことを非常に重大に受け止めており、それがおそらく、私がそこにいなかったということを意味しています。
※この「マクドネル・エアクラフト」の解説は、「ギュンター・ウェント」の解説の一部です。
「マクドネル・エアクラフト」を含む「ギュンター・ウェント」の記事については、「ギュンター・ウェント」の概要を参照ください。
- マクドネル・エアクラフトのページへのリンク