ノースアメリカン・ロックウェル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 23:31 UTC 版)
「ギュンター・ウェント」の記事における「ノースアメリカン・ロックウェル」の解説
アポロ7号の船長で、マーキュリー計画とジェミニ計画も経験しているベテラン宇宙飛行士であるウォルター・シラーは、アポロ7号の発射台責任者をウェントに担当させることを主張し、主任宇宙飛行士のドナルド・スレイトンにノースアメリカン社にウェントを雇わせるよう説得した。 それが叶うと今度は、ノースアメリカン社の副社長兼ゼネラルマネージャーであるバズ・ヘローに、ウェントのシフトを深夜から昼間に変更して、アポロ7号の発射台責任者を担当させるように、シラー自身が個人的に説得した。 アポロ7号のハッチが締められ、ウェントの顔が見えなくなると、乗組員のドン・エイゼルは地上に対して、ドイツ語訛りの英語で"I vonder vere Guenter Vendt"(ギュンター・ヴェントはどこだ?)と通信した。 他のアポロ計画の宇宙飛行士もウェントに対して高い敬意を表し、ウェントはスカイラブ計画やアポロ・ソユーズテスト計画のミッションにおいても通じて発射台責任者であり続けた。 KSCで初期のスペースシャトルの飛行にかかわった後、1989年に引退した。
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