ハリウッド‐テン【Hollywood Ten】
ハリウッド・テン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 06:49 UTC 版)
「ダルトン・トランボ」の記事における「ハリウッド・テン」の解説
1943年にアメリカ共産党に入党。戦時下の共産党はアメリカと戦争を強く支持する姿勢で、約8万人の最高党員数を記録していた時期だった。第二次世界大戦終結後の東西対立の激化の中、後に「赤狩り(マッカーシズム)」と呼ばれる指導弾圧運動が起こり、1947年10月20日、ハリウッド映画界の著名人19人が反共キャンペーン下院非米活動委員会による第1回聴聞会に召還され、その中にはトランボも含まれていた。 当時のハリウッドにはジョン・ウェインらを筆頭に「アメリカの理想を守る映画連盟」という組織が設立され、非米活動委員会への協力が推進されていた。聴聞会でトランボは「あなたは共産党員か、あるいは、かつてそうであったか」などを問われたが、アメリカ合衆国憲法修正一条(議会は言論の自由を制限する法律を作ってはいけないという原則)を理由に証言を拒んだ。同様に証言を拒んだ10人が議会侮辱罪を言い渡され、禁固刑の実刑判決を処されることになった。この10人が後に「ハリウッド・テン」と呼ばれることになった。 1948年には共産党を離党し、ハリウッド・テンの実質的なリーダーとして上訴を目指して活動していたが、1949年11月に上訴請求が棄却された。収監前に『密航巡査』『カウボーイ』などの脚本や原案を書いたが、政治上好ましくない人物の名前がクレジットから外せるとされていたため、トランボの名前が無い作品もある。
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