実名再開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 06:49 UTC 版)
1956年にロバート・リッチの偽名で参加した『黒い牡牛』が1957年のアカデミー原案賞を受賞するが、彼はアカデミー賞授賞式にも登場しなかった。映画脚本家組合が調査を行い、ニュース雑誌もこの話題を取り上げた。その後ハリウッドでは「ロバート・リッチは、ダルトン・トランボの偽名だ」との噂が流れ、トランボ本人は否定しなかった。 トランボは取材する記者たちに、ハリウッドの「ブラックリスト」に名前が上がっている脚本家たちが偽名で仕事をしているという事実を提示するなど、「ブラックリスト」を無効化するための活動を続けた。1959年にはテレビのインタビューで、自分が「ロバート・リッチ」であると認め、同年には「ロバート・リッチ・プロダクション」の設立を発表した。 また、同年には『スパルタカス』の脚本をリライトする契約をサム・ジャクソン名義で行ったが、降板させられたアンソニー・マン監督がトランボの脚本であることを広めてしまった。トランボが同時期に手がけた『栄光への脱出』の監督のオットー・プレミンジャーはトランボが脚本を書いたと公表し、『スパルタカス』もトランボの名前がクレジットされることになった。『栄光への脱出』『スパルタカス』は興行的に大成功を収め、その後、他のハリウッド・テンのメンバーも実名で仕事できる機会が増えていった。
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