主な軍事・政治的展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 22:54 UTC 版)
「イタリア領キレナイカ」の記事における「主な軍事・政治的展開」の解説
1911年:イタリア・トルコ戦争勃発。イタリアがトブルク、デルナ、ベンガジを征服。 1912年:ローザンヌ講話条約(イタリア語版)によりイタリア・トルコ戦争終結。オスマン帝国はトリポリタニアとキレナイカを割譲。 1917年-21年:アクロマ(英語版)、アル・ラジマ(英語版)、ブ・マリアムで締結された、イタリア側とサイイド・イドリース率いるサヌーシー教団側との一連の協定により、紛争が延期された。 1923年:イタリア総督ルイジ・ボンジョバンニ(英語版)がサヌーシー教団との条約破棄を宣言し、イタリア軍はサヌーシー首長国の首都アジュダービヤーを占領し、キレナイカ再征服を開始する。オマール・ムフタールを中心としたサヌーシー教団の抵抗が始まる。 1925年:イタリア・エジプト条約により、キレナイカ(後のリビア)・エジプト国境が定められる。 1926年:ジャグバーブ征服。 1927年冬~28年:トリポリタニアとキレナイカの政府間の調整の結果「29度線作戦」が開始され、シドラ湾を征服し、二つの植民地が結ばれる。 1929年:ピエトロ・バドリオがトリポリタニアとキレナイカの総督となる。オマール・ムフタールとのシディ・ルーマ会談が始まるが、最終的には失敗に終わる。 1931年:クフラを占領、リビアとエジプトの国境に有刺鉄線を建設、オマール・ムフタールを逮捕、そして処刑。 1932年:バドリオがリビアのレジスタンスの終結を宣言。 1934年:キレナイカがリビア植民地に編入される。
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