小澤純子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/06 12:53 UTC 版)
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名前 | ||||||
カタカナ | オザワ ジュンコ | |||||
ラテン文字 | Junko OZAWA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1973年12月7日(50歳) | |||||
出身地 | ![]() |
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身長 | 168cm[1] | |||||
体重 | 63kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1989-1993 | ![]() |
43 | (0) | |||
1994-1995 | ![]() |
14 | (0) | |||
1996-1997 | ![]() |
31 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
1993-1997 | ![]() |
21 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2020年6月30日現在。 2. 2009年9月23日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
小澤 純子(おざわ じゅんこ、1973年12月7日 - )は、神奈川県鎌倉市出身の元女子サッカー選手。元サッカー日本女子代表。現役時代のポジションはゴールキーパー。
人物・経歴
実兄は讀賣テレビ放送アナウンサーの小澤昭博。その兄がサッカーをやっていた為に、自分もサッカーを始めた。平塚学園高等学校在学中の1989年、日産FCレディースに入団。この年に始まった日本女子サッカーリーグでは2試合に出場した。
1992年、亜細亜大学へ進学。翌1993年にはアメリカ合衆国へサッカー留学したためリーグ戦後期から出場した。また、日本女子代表に初招集され、12月4日の第9回アジア女子選手権(マレーシア)でのチャイニーズタイペイ戦で先発により代表デビューを果たす。
1994年、日産FCレディースの廃部に伴い、TOKYO SHiDAX LSCへ移籍。1996年にはSHiDAXの廃部に伴いフジタサッカークラブ・マーキュリーへ移籍した。
1996年アトランタオリンピックなど数多くの国際大会に出場し、日本代表の正GKとしてゴールを守る。
1998年、フジタサッカークラブ・マーキュリーが廃部。現役を引退しアマチュアゴルファーとして活動した。
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
1989 | 日産FCレディース | 21 | JLSL | 2 | 0 | ||||||
1990 | 1 | 2 | 0 | ||||||||
1991 | 12 | 0 | |||||||||
1992 | 18 | 0 | |||||||||
1993 | 9 | 0 | |||||||||
1994 | TOKYO SHiDAX LSC | L・リーグ | 14 | 0 | |||||||
1995 | 0 | 0 | |||||||||
1996 | フジタサッカークラブ・ マーキュリー |
18 | 0 | ||||||||
1997 | 13 | 0 | |||||||||
通算 | 日本 | 1部 | 88 | 0 | |||||||
総通算 | 88 | 0 |
代表歴
- 1993年12月4日 - 日本女子代表初出場 -
チャイニーズタイペイ戦(1993 AFC女子選手権、マレーシア・クチン)
主な出場歴
試合数
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1993 | 4 | 0 |
1994 | 6 | 0 |
1995 | 5 | 0 |
1996 | 5 | 0 |
1997 | 1 | 0 |
通算 | 21 | 0 |
- 出典: なでしこジャパン(日本女子代表)試合別出場記録[2]
出場
# | 開催日 | 開催地 | 会場 | 相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1 | 1993年12月04日 | ![]() |
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○6-1 | 鈴木保 | アジア選手権 | |
2 | 1993年12月06日 | ![]() |
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○15-0 | アジア選手権 | ||
3 | 1993年12月10日 | ![]() |
![]() |
●1-3 | アジア選手権 | ||
4 | 1993年12月12日 | ![]() |
![]() |
○3-0 | アジア選手権 | ||
5 | 1994年08月20日 | ![]() |
![]() |
○2-0 | スロバキア国際大会 | ||
6 | 1994年09月27日 | ![]() |
国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ![]() |
△2-2 | 国際親善試合 | |
7 | 1994年10月04日 | ![]() |
福山市竹ヶ端運動公園陸上競技場 | ![]() |
○5-0 | アジア大会 | |
8 | 1994年10月06日 | ![]() |
福山市竹ヶ端運動公園陸上競技場 | ![]() |
○3-0 | アジア大会 | |
9 | 1994年10月10日 | ![]() |
福山市竹ヶ端運動公園陸上競技場 | ![]() |
△1-1 | アジア大会 | |
10 | 1994年10月12日 | ![]() |
福山市竹ヶ端運動公園陸上競技場 | ![]() |
●0-2 | アジア大会 | |
11 | 1995年05月05日 | ![]() |
国立西が丘サッカー場 | ![]() |
○1-0(延長V) | ICE BOX CUP | |
12 | 1995年06月05日 | ![]() |
![]() |
●0-1 | 世界選手権 | ||
13 | 1995年06月07日 | ![]() |
![]() |
○2-1 | 世界選手権 | ||
14 | 1995年06月09日 | ![]() |
![]() |
●0-2 | 世界選手権 | ||
15 | 1995年06月13日 | ![]() |
![]() |
●0-4 | 世界選手権 | ||
16 | 1996年05月11日 | ![]() |
![]() |
●0-3 | US女子カップ | ||
17 | 1996年05月26日 | ![]() |
国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ![]() |
△1-1 | 国際親善試合 | |
18 | 1996年05月29日 | ![]() |
東平尾公園博多の森球技場 | ![]() |
●3-4 | 国際親善試合 | |
19 | 1996年07月21日 | ![]() |
![]() |
●2-3 | オリンピック | ||
20 | 1996年07月23日 | ![]() |
![]() |
●0-2 | オリンピック | ||
21 | 1997年06月08日 | ![]() |
国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ![]() |
○1-0 | 宮内聡 | キリンカップ |
脚注
- ^ a b JOC
- ^ “なでしこジャパン(日本女子代表) 試合別出場記録”. 日本サッカー協会 (2008年7月29日). 2021年6月12日閲覧。
外部リンク
- JOC公式サイトのプロフィール
- 小澤純子 - 国際オリンピック委員会
- 小澤純子 - オリンピックチャンネル
- 小澤純子 - Olympedia
- 小澤純子 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 小澤純子 - Soccerway.com
- 小澤純子 - FootballDatabase.eu
- 小澤純子 - WorldFootball.net
- 小澤純子 - FIFA主催大会成績
- 小澤純子 - TheFinalBall.com
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小沢純子
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小沢 純子 | |
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別名 | ZUNKO、ZUNちゃん |
生誕 | 1959年6月8日 |
出身地 | ![]() |
ジャンル | ゲームミュージック |
職業 | 作曲家 |
活動期間 | 1983年 - |
小沢 純子(おざわ じゅんこ、1959年6月8日[1] - )は、日本のゲームミュージックの作曲家。埼玉県出身。血液型はAB型[1]。あだ名は「ZUNKO(ずんこ)」「ZUNちゃん(ずんちゃん)」[注 1]。あだ名は作品のクレジット名義にも使われている。
来歴
4歳の頃からピアノを習い[1]、1983年に音楽大学卒業後、株式会社ナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)入社[2]。ナムコ入社を志した動機は、マイクロマウス大会のイベントにて、ニャームコに一目惚れしたため[1]としており、他に『ニューラリーX』の曲が好きだったことを動機にあげたこともある[3]。入社試験には、お手製のニャームコバッジをつけて臨んだという[1]。
ナムコで最初に作った曲は、新人研修においてとくにゲームを想定せずに作られたものであったが、開発陣からは「ゲームに使えない」と退けられた。それを聞いた遠藤雅伸が、「その曲が使えるようなゲームを作るからとっておけ」と励まし、作られたゲームが『ドルアーガの塔』であった。曲はエンディングとネームエントリーに使われた[4]。
『リブルラブル』におけるメンデルスゾーン「結婚行進曲」の編曲[5]を経て、『ギャプラス』にてデビュー。代表曲とも言える『バビロニアン・キャッスル・サーガ』シリーズの楽曲は、現在も関連作品にてアレンジされたものが使われている。
アルバム『ザ・リターン・オブ・ビデオ・ゲーム・ミュージック』のライナーノーツに、自身の書き下ろしによる「MAKING OF DRUAGA MUSIC」と題した開発裏話を掲載。
2008年9月をもって同社を退社[6]。以降も音楽活動を続ける傍ら、2018年現在は大田区の非常勤職員を務めている[7]。
人物
- 口が大きく、『トイポップ』のデモ画面に表示される似顔絵は、最初の案より口を2ドット横に広げられたという[8]。
- 趣味はバイク[1]で、遠藤とよくツーリングに出たという[6]。
- 好きな有名人のタイプは、ドナルド・フェイゲン、マイケル・ビーン、渡瀬恒彦[1]。
作品
アーケード
- リブルラブル(1983年)メンデルスゾーン「結婚行進曲」編曲[5]
- ギャプラス(1984年)
- ドルアーガの塔(1984年)作曲の他サウンドドライバも担当
- ディグダグII(1985年)慶野由利子と共作
- 一打逆転(1985年)
- バラデューク(1985年)パケット族の「I'm your friend」「Thank you」の声の出演
- スカイキッド(1985年)
- トイポップ(1986年)
- スカイキッドDX(1986年)
- イシターの復活(1986年)
- ローリングサンダー(1986年)
- パックマニア(1987年)慶野由利子、戸室仁人と共作
- クエスター(1987年)サウンドドライバ
- 爆突機銃艇(1988年)パケット族の「I'm your friend」「Thank you」および、やられたときの声の出演
- プロ野球ワールドスタジアム(1988年)慶野由利子、戸室仁人と共作
- プロテニスワールドコート(1988年)
- フォートラックス(1989年)高柳佳恵と共作
- プロ野球ワールドスタジアム'90激闘版(1990年)
- ファミリーボウル(1999年)
- スウィートランド4
- トレトレクリッパー
- すごろチックJAPAN
コンシューマー他
- ドルアーガの塔(1985年)ファミコン版
- ワープマン(1985年)大野木宜幸、慶野由利子と共作
- バトルシティー(1985年)大野木宜幸と共作
- さんまの名探偵(1987年)慶野由利子と共作
- ファミリージョッキー(1987年)
- ファミリーテニス(1987年)
- カイの冒険(1988年)大野木宣幸、ひこのたけると共作
- プロ野球ファミリースタジアムシリーズ
- プロテニスワールドコート(1988年)
- ラサール石井のチャイルズクエスト(1989年)バッハこややしと共作
- ドルアーガの塔(1992年)PCエンジン版
- トップストライカー(1992年)
- ザ・ブルークリスタルロッド(1994年)
- 幽遊白書 特別篇(1994年)サウンドプログラム
- サイバースレッド(1995年)SOUND ENGINEER
- ナムコミュージアム VOL.3(1996年)『裏ドルアーガの塔』のエンディング曲を書き下ろしている。
- 風のクロノア(1997年)
- 風のクロノア ムーンライトミュージアム(1999年)
- リベログランデ2(2000年)効果音ほかを担当。
- ミスタードリラー(2000年)ゲームボーイカラー版
- ミスタードリラーエース ふしぎなパクテリア(2002年)
- ドンキーコンガシリーズ(2003年 - 2005年)
- 今日からマ王! はじマりの旅(2006年)
- ギャラガレギオンズ(2008年)
- パックマン チャンピオンシップ エディション DX(2010年)
- ドルアーガの迷宮(2011年)
- タッチ・ザ・マッピー 復活のニャームコ団(2016年)
- エイリアンフィールド3671(2018年)
- 8ビットリズムランド(2019年)
- スペースマウス2(2020年)
- 数字の星のありすとゆー(2021年)
その他
- STANDARD THEME
- アルバム『ザ・リターン・オブ・ビデオ・ゲーム・ミュージック』収録のオリジナル曲。
メディア出演
- ザ・ナムコ・グラフィティ〈1〉完全保存版!NG総集編&特別編集号(ソフトバンク、ISBN 4-89052-585-8、1994年)
- ナムコミュージアムvol.3 超研究 じゅげむBOOKS(メディアファクトリー、ISBN 978-48899-13996、1996年)
- ドルアーガの塔のサウンド製作についてのインタビュー出演。
- 「ビデオ・ゲーム・ミュージック」三部作復刻記念 大野木宜幸×小沢純子×遠藤雅伸 80'Sクロニクル座談会(エンターブレイン、2001年)
- Diggin' in the Carts エピソード1:テレビゲームミュージックの到来(RED BULL MUSIC ACADEMY、2014年9月4日)[9]
- ゲームミュージックが与えた世界的影響を掘り下げるドキュメンタリー動画。
- インタビュー出演。
備考
デンマークのロックバンド、ザ・レヴォネッツは、2016年4月に楽曲「Junko Ozawa」を発表。リリックビデオの冒頭に「天才ゲーム音楽コンポーザー、小沢純子に捧げる」と記している[10]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g 「「遊び」をクリエイトするコラム VOICE OF PLAY 小沢ZUNKO」『月刊エヌジー』第21巻、ナムコ、1988年7月、27頁、2018年3月23日閲覧。
- ^ 『電撃ゲームミュージックライブ 〜初冬の陣〜 開催決定!』(プレスリリース)株式会社KADOKAWA、2017年8月31日 。2018年3月22日閲覧。
- ^ 「「ビデオ・ゲーム・ミュージック」三部作復刻記念 大野木宣幸×小沢純子×遠藤雅伸 80'Sクロニクル座談会」『月刊アルカディア』、エンターブレイン、2002年1月、121頁、2018年3月22日閲覧。
- ^ 「「ビデオ・ゲーム・ミュージック」三部作復刻記念 大野木宣幸×小沢純子×遠藤雅伸 80'Sクロニクル座談会」『月刊アルカディア』、エンターブレイン、2002年1月、120頁、2018年3月22日閲覧。
- ^ a b 第332回 アーケードアーカイバー スカイキッドスペシャル! (YouTube). 株式会社ハムスター. 28 October 2021. 該当時間: 2時間16分33秒 - 2時間17分10秒.
- ^ a b “小沢純子さん退職”. 遠藤雅伸公式blog「ゲームの神様」 (2008年9月29日). 2018年3月22日閲覧。
- ^ “ゲーム音楽のコンポーザやシンガーなど100名以上が集まった「東京ゲーム音楽ショー2018」をレポート。来年はさらに拡大してステージを追加”. 4Gamer.net (2018年3月13日). 2018年3月22日閲覧。
- ^ ビデオ・ゲーム・グラフィティVol.2ライナーノーツの記述。
- ^ Diggin' in the Carts エピソード1: テレビゲームミュージックの到来
- ^ “ザ・レヴォネッツが新曲「Junko Ozawa」のリリックビデオを公開、ゲーム音楽家・小沢純子に捧げた楽曲”. amass (2016年4月29日). 2016年6月22日閲覧。
固有名詞の分類
日本の女子サッカー選手 |
日置ちはる 石田美穂子 小澤純子 水間百合子 鮫島彩 |
オリンピックサッカー日本代表選手 |
山口芳忠 茂庭照幸 小澤純子 下小鶴綾 城彰二 |
サッカー日本女子代表選手 |
福元美穂 内山環 小澤純子 水間百合子 鮫島彩 |
新光精工FCクレールの選手 |
長峯かおり 泉美幸 小澤純子 |
日産FCレディースの選手 |
坂田恵 小澤純子 山木里恵 |
フジタ天台SCマーキュリーの選手 |
片桐ひろみ 小澤純子 |
ゲーム音楽の作曲家 |
石元丈晴 藤間仁 小沢純子 竹間淳 高井ウララ |
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