TOKYO_SHiDAX_LSCとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > TOKYO_SHiDAX_LSCの意味・解説 

TOKYO SHiDAX LSC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/09 23:09 UTC 版)

TOKYO SHiDAX LSC
原語表記 FC小平 (1981-1987)
新光精工FCクレール (1988-1992)
TOKYO SHiDAX LSC (1993-1996)
呼称 新光精工
シダックス
クラブカラー  
創設年 1981年
解散年 1996年
ホームタウン 東京都調布市
運営法人 -
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

TOKYO SHiDAX LSC(とうきょうシダックスエルエスシー)は、かつて存在した女子サッカーチーム。東京都調布市を本拠地としていた。日本女子サッカーリーグに加盟していたが、1996年3月をもって廃部となった。

概要・歴史

1990年アジア競技大会から女子サッカーが正式種目になることに伴い「女子もサッカーの全国リーグを作ろう。」との機運が高まったため、各地域でのリーグで活動していたチームを中心に「日本女子サッカーリーグ」(JLSL)が1989年に誕生することになった。

1981年に創設された女子サッカーチームのFC小平東京都小平市)が前身となる[1]。FC小平は第4回全日本女子サッカー選手権大会で4位に入賞した実績を有する。FC小平としてJLSLへの参加を検討したが、チームの安定した運営を考慮し新光精工株式会社をスポンサーとして新光精工FCクレールが創設され、JLSLの初年度から参加した。「クレール(clair)」はフランス語で「明るい、明白な」という意味をもつ[2]

そのプレースタイルから「おんな釜本」と呼ばれた日本女子代表のエースストライカー長峯かおりを中心に高萩陽子泉美幸ら代表選手を擁したチームで、第11回全日本女子サッカー選手権大会ではベスト4にも輝いたがリーグ戦での成績は上がらず、とくに長峯が退団(のちイタリアのチームへ移籍)したのちは下位に低迷した。

1993年4月にシダックスがスポンサーとなり、チーム名をTOKYO SHiDAX LSCに変更[2]ブラジル人監督やアメリカ代表選手などを獲得し、さらにスポンサーの特性をいかした「アスリート食」の研究により上位進出を図ったが、2年連続して下位に低迷した。

1995年12月、シダックスよりチーム解散の意向がリーグに伝えられるが、承認されなかったため新しいスポンサーを探したが、1996年1月23日までに見つからなかったため解散が決定し、翌1月24日に日本女子サッカーリーグで解散が承認された。調布市内に確保していた練習場との契約が同年3月で終了し、練習場の代替地が確保できなかったことが理由としている[1]。練習場が無いことを理由に解散することに批判的な意見もあったが、シダックス側はギリギリまで練習場とスポンサーを探したが見つからなかったとコメントしている[1]

最後の公式戦は1996年3月2日の第17回全日本女子サッカー選手権大会準決勝でフジタに敗北した[1]

成績

年度 チーム名 リーグ チーム数 試合 勝点 順位 全日本選手権
1982 FC小平 東京2部 9 9 0 0 1位 4位
1983 東京1部 ベスト8
1984 ベスト8
1985 地方予選敗退
1986 1位 地方予選敗退
1987 ベスト8
1988 新光精工FCクレール ベスト8
1 1989 JLSL 6 10 8 2 4 4 4位 ベスト4
2 1990 6 10 8 3 2 10 5位 ベスト8
3 1991 10 18 12 5 2 11 7位 ベスト8
4 1992 10 18 6 1 4 13 9位 2回戦
5 1993 TOKYO SHiDAX LSC 10 18 -- 5 -- 13 8位 2回戦
6 1994 10 18 -- 8 -- 10 7位 ベスト8
7 1995 10 18 -- 8 -- 10 7位 ベスト4

註)92年まで「勝ち点制」を採用。また前後期制を採用した93年以降の成績は年間順位。

チーム名変遷

  • 1981年-1987年 FC小平
  • 1988年-1992年 新光精工FCクレール
  • 1993年-1996年3月 TOKYO SHiDAX LSC

チームカラー

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st)
FP(2nd)
GK(1st)
GK(2nd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
  • チームカラーは   赤(新光精工時代は   黄)

(最終年のパターン)

歴代監督

(日本女子サッカーリーグ開幕以降)

  • 1989年 - 1990年 永沢孝男
  • 1991年 宮下幸男
  • 1992年 永沢孝男
  • 1993年 ジュリオ・シーザー・カストロ・エピノーザ
  • 1994年 ジョン・R・コッサブーン
  • 1995年 齋藤誠

かつて所属していた選手


出典

  1. ^ a b c d 「シダックス女子サッカー部解散(ルポ・都市の鼓動)」朝日新聞東京版 (1996年3月18日) 2020年6月29日閲覧
  2. ^ a b No.138 無責任なシダックスの廃部”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサト (1996年2月20日). 2012年8月19日閲覧。

関連項目


「TOKYO SHiDAX LSC」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「TOKYO_SHiDAX_LSC」の関連用語

TOKYO_SHiDAX_LSCのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



TOKYO_SHiDAX_LSCのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのTOKYO SHiDAX LSC (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS