基になった伝承とその系譜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 22:47 UTC 版)
「走れメロス」の記事における「基になった伝承とその系譜」の解説
作品の最後に「古伝説とシルレルの詩から」と記述され、古代ギリシャの伝承とドイツの「シルレル」、すなわちフリードリヒ・フォン・シラーの詩を基に創作したことが明らかにされている。 『走れメロス』のもとになった伝承は、杉田英明によると、古代ギリシャのピタゴラス派の教団員の間の団結の固さを示す逸話として発生したものである。広義の地中海・中東世界で発展し、日本に伝わった。杉田は著作で、伝承の発生と広がり、日本への伝来の経緯を詳細に論じている。 ピタゴラス派は宗教・政治団体の性格を持つ秘密結社を組織しており、構成員は財産を共有して共同生活を行い、強い友愛の絆で結ばれていることで知られていた。杉田が伝承のもっとも初期の一つとして挙げている新プラトン主義者のイアンブリコス(240年頃 - 325年頃)の『ピタゴラス伝』では、ディオニュシオス2世が治めるシチリア島のシュラクサイが舞台となっており、のちにコリントスに追放されたディオニュシオス2世が体験談として哲学者・音楽理論家のアリストクセノス(前4世紀頃)に語ったものであるとされている。ピタゴラス派の教団員ダモン(デイモン)とフィンティアス(ピシアス)の友情の美談であり、西洋ではメロスとセリヌンティウスよりこちらの名前が有名である。デイモンとピシアスの名は固い友情で結ばれた親友を意味する慣用句として使われている。 『ピタゴラス伝』に収録された内容は次のとおりである。ピタゴラス派に反感を持つ者たちの事実無根の告発または冗談により、フィンティアスがディオニュシオス2世より、王に対し陰謀をたくらんだ罪で死刑を申し渡される(フィンティアスの反応を見るための芝居である)。フィンティアスは身辺整理のため、その日の残り時間を猶予として願い、ダモンを保証人に指名する。事情を聴いたダモンは保証人を引き受け、このたくらみを行った者たちはお前は結局見捨てられるとダモンを嘲笑する。日が沈みかけた頃フィンティアスは現れ、皆は感動し魅了される。ディオニュシオス2世は「わしも第三の男として友情に加えてほしい」と頼むが、拒否される。フィンティアスやダモンの深い心理描写はなく、最後にフィンティアスが許されたかどうか明らかにされていない。物語というより実際あった事件の報告といった趣で、フィンティアスが走って現れる描写もない。一方、紀元前1世紀の歴史家ディオドロス・スィケロスの『世界史』に残された伝承は、イアンブリコスのものと影響し合うことなく成立したと思われるが、より物語性が強く緊迫した内容で、フィンティアスが刻限ぎりぎりに登場するなど、『走れメロス』に近くなっている。「わしも第三の男として友情に加えてほしい」という台詞はイアンブリコスのものと共通しており、この言葉は以後シラー、太宰まで伝承されている。ウァレリウス・マクスィムス(英語版)(1世紀)が『著名言行録(英語版)』で、ヒュギヌス(2世紀)が『説話集』で、この伝承に文学的装飾を施し、後世に大きな影響を与えた。ヒュギヌスは『説話集』「友情で最も固く結ばれた者たち」でフィンティアスとダモンの名をモイロスとセリヌンティオスに変え(モイロスがドイツ語圏でメーロスとなった)、ピタゴラス派の団員という設定を消した。また、3日間という猶予、妹の婚礼、暴風雨による川の氾濫という障害を追加し、処刑方法を具体的に磔刑にした。ヒュギヌスの作品が、シラーが直接典拠にしたものである。 ギリシャ・ローマ世界で広く流布した友情物語は、舞台設定や登場人物を変えながら中東アラブ世界に広まり、9世紀から10世紀にアラビア語で記録されるようになった。杉田は、アラブ世界に流入した経緯や時期は不明であり、ビザンツ文化と共に伝承した可能性もあるが、「アッバース朝最盛期のギリシア文献の翻訳時代に、その担い手であるネストリウス派キリスト教徒の手で移入された可能性の方が大きいかもしれない」と述べている。イスファハーニー『歌謡集』に中東アラブ世界における初期の形が見られ、『千夜一夜物語』でも「ウマル・アル=アッターブと若い牧人との話」(第395 - 397話)として、イスラム時代を舞台に変奏しつつ展開されている。 中世の地中海・中東世界で発展した伝承は、ヨーロッパに流入し復活した。杉田は、ヨーロッパでの復活は14世紀以降と思われ、ウァレリウス・マクスィムス(1世紀)『著名言行録』がキリスト教の僧侶が説教を行う際の手引きとして活用されたことが大きいと述べている。様々な媒体で伝承は広く流布し、18世紀末の1799年にシラーの「人質」が発表された。 太宰は、小栗孝則(20世紀前半の独文学者)が1937年(昭和12年)7月に訳したシラーのバラードDie Bürgschaftの初版「人質」(『新編シラー詩抄』改造文庫)を参考にした。小栗は訳注にメロスの友人の名がセリヌンティウスであることを記しており、太宰の書く「古伝説」とはこれを指す。 日本では太宰以前に、明治初期に幕末を舞台にした翻案(シラーの詩を直接的にか間接的にか参照したと思われるもの)があり、この伝承は青少年の道徳心を育てる目的で学校教育に採用され、広く読まれた。太宰が使った高等小学校1年生の国語の教科書にも「真の知己」のタイトルで収録されており、鈴木三重吉も1910年(明治43年)11月「デイモンとピシアス」のタイトルで1920年に『赤い鳥』に発表している。「走れメロス」登場後は、教育で使われるのは同作になり、戦後はほぼずっと中学校の国語の教科書で使われている。
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