原作本との違い
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「ハリー・ポッターと賢者の石」の記事における「原作本との違い」の解説
コロンバスは、細部が正しいことを確認するため、ローリングに繰り返し相談した。クローブスは、この映画が原作本に「本当に忠実」であると述べている。彼はローリングが認めた台詞を追加した。当初入れられていた台詞の1つについては、ローリングが当時未発表の『ハリー・ポッター』第5作『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』の出来事と直接矛盾すると言ったため、削除しなければならなかった。 映画版からは一部の端役が削除されており、中でもポルターガイストのピーブズは、俳優のリック・メイヨールが演じたが、彼のシーンは最終的に映画からカットされ公開されることはなかった。バーノン・ダーズリーとペチュニア・ダーズリーの視点で語られる原作本の最初の章は映画にはない。ハリーとドラコの、マダム・マルキンの洋装店での最初の出会いと、真夜中の決闘は映画には登場しない。ノーバートは、映画ではダンブルドアに連れて行かれたことになっているが、原作本ではハリーとハーマイオニーの手でチャーリー・ウィーズリーの友人のところに連れて行かなければならなかった。クローブスによれば、「原作本の中で(ローリングが)簡単に変更できると感じた部分」だったという。その結果、禁じられた森での居残りの罰の理由が変更された。小説では、ハリーとハーマイオニーは放課後に天文台の塔を出たときにフィルチに捕まったために居残りの罰が与えられ、ネビルとマルフォイはマクゴナガル先生に廊下で捕まったために居残りをさせられる。映画では、ハリー、ハーマイオニー、ロンは放課後にハグリッドの小屋にいるところをマルフォイに見つかって居残りを命じられ、マルフォイもベッドを抜け出したために居残りを命じられる。クィディッチの競技場は伝統的な競技場から観客席に囲まれたオープン・フィールドに変更された。 映画では原作本の時系列は強制されていない。原作本では、ハリーの11歳の誕生日は1991年である。プリベット通り四番地の映画のセットでは、ダドリーの小学校からの証明書には2001年と書かれている。
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原作本との違い
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「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」の記事における「原作本との違い」の解説
『炎のゴブレット』の小説は『アズカバンの囚人』のほぼ2倍の長さがあるため、脚本家とプロデューサーは原作を映画へ移行するために、特定の場面や構想を減らした。監督のマイク・ニューウェルは、この問題を「巨大な本を映画の範囲に圧縮すること」の1つと説明した。これはハリーと彼の旅に直接関係のない、小説の構成要素をすべて「脇に置く」ことで達成された。 『炎のゴブレット』は、映画化された作品の中でプリベット通りから始まらない初めての作品である。冒頭の一連の場面のあとに、ハリーはクィディッチ・ワールドカップの朝、ロンの実家「隠れ穴」で目を覚ます。 クィディッチ・ワールドカップの試合は時間の関係で削除され、突然時間が飛ぶ形となった。これを一部の批評家がぎこちない、または「慌ただしい」とみなした。原作では、ハリーとウィーズリー家の多くはアイルランドを応援しているが、映画の中ではハリーとロンはブルガリアを応援している。ただしそれでも、2人はブルガリアのシーカーであるビクトール・クラムを称賛する。 その他の場面は、最も重要な話の詳細だけが含まれるように短縮、統合された。例えば、「憂いの篩」(うれいのふるい)でハリーが目撃した3つの死喰い人(デスイーター)裁判は、1つの一連の場面に統合されている。ビル・ウィーズリー、チャーリー・ウィーズリー、ルード・バグマン、ウィンキー、ナルシッサ・マルフォイ、およびバーサ・ジョーキンズについてはすべて登場せず、本来ハリーが第2の課題で鰓昆布を手に入れるのを助ける立場にあるドビーも登場しない。ドビーの代わりに、この場面はネビル・ロングボトムが関わるように変更された。リータ・スキーターが違法で未登録の動物もどきであることが明らかになる最後の列車の場面はない。ハリーが賞金1,000ガリオンを受け取ることも手放すことも描かれていない。シリウス・ブラックのすべてのセリフは、たった1度の暖炉での会話に凝縮されている。クラウチ・ジュニアがアズカバンに連れ戻される場面は、コーネリウス・ファッジが呼び出した吸魂鬼(ディメンター)によって「殺された」原作と異なる。また、ファッジがヴォルデモートの復活について信じることを拒否する会話もなく、これは次回作での説明に持ち越されている。
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原作本との違い
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「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」の記事における「原作本との違い」の解説
イギリス版で766ページ、アメリカ版では870ページと、『不死鳥の騎士団』は『ハリー・ポッター』シリーズの中で最も長い本だが、映画は2番目に短いものとなっている。脚本を担当したマイケル・ゴールデンバーグは、小説を切り詰める彼の作業は「物語を伝えるために最善の方法」を探すことであり「私の仕事は文字に忠実であり続けることよりも、原作の精神に忠実であり続けることでした」と述べた。ゴールデンバーグは、ローリングが自分、プロデューサー、および監督のイェーツに「彼女はただ素晴らしい映画を見たかっただけで、原作を彼女が好きな映画にするために私たちが必要だと思うことは何でも自由にしていいと言ってくれた」という。映画の時間に合わせて原作を切り詰めることは、「脚本の構成の本質がハリーの心の旅を語ることだとわかったとき、より明確になった」とゴールデンバーグは説明する。彼とイェーツは「そこにできる限りのものを盛り込む機会をうかがっていました。そして、それができない場合は、原作へのオマージュとして、背景のどこかに登場させたり、画面の外で起こっているように感じさせたりしました。」という。 ゴールデンバーグが「嫌々」ながらカットしなければならなかったものに、魔法ワールドのスポーツであるクィディッチがないことである。「この本で作られた映画は、誰が作っても、クィディッチのサブプロットが含まれていたら、それ以下の映画になるのが真実でしょう」と彼は言った。原作では、ロンはクィディッチ・チームに挑戦することで人として成長していく。「ハリーと同じようにロンが困難に立ち向かい真価を発揮していく姿を、私たちは他の方法でできる限り映画に取り込みました。ですから、話の詳細は分からなくても、少なくともその精神は映画の中にあるように感じられるのです。」この変更は「クィディッチをかなり楽しみにしていた」俳優ルパート・グリントを落胆させた。 この本の重要な場面で、ハリーは、自分の父が学生時代にスネイプに屈辱を与え、自分の母がスネイプをかばったあとスネイプが母を侮辱した記憶を見る。映画では、ゴールデンバーグの言葉を借りれば、それは「アイデア」と略されている。「自分の両親が普通の、欠点のある人間であることに気づく象徴的な瞬間です。(…) いろいろなものが削られましたが、その本質は残しました。そして、それが本当に成長物語になったのです。」若き日のリリー・ポッターはまったく登場しなかったが、宣伝用の写真には無名のティーンエイジャー、Susie Shinnerがその役で映っている。 ハリーと友人たちが同級生のネビル・ロングボトムに出くわし、ネビルの両親がベラトリックス・レストレンジから拷問を受けて精神異常をきたしたことを知った、聖マンゴ魔法疾患傷害病院の場面は、新しいセットを作る必要があったためカットされた。この場面の出来事の主な目的は、ダンブルドア軍団の授業のあとの「必要の部屋」に移された。また、映画のヤマ場を速めるため、ハリーとヴォルデモートの戦いに至るまでの魔法省のいくつかの出来事が「脳の間」も含めて削除された。ウィーズリー夫人がグリモールド・プレイス(英語版)でまね妖怪と遭遇し、ロン、ハーマイオニー、およびマルフォイが監督生になり、マンダンガス・フレッチャーが登場、そして占いを教えるフィレンツェと続いた。 屋敷しもべ妖精であるクリーチャーは、ローリングの要請で脚本に組み込まれた登場人物で、映画より原作本の中で大きな役割を担っている。小説では、不死鳥の騎士団が捨てたブラック家の道具をクリーチャーが保存しているのが見られ、その中には第7巻で最後に非常に重要になるロケットも含まれている。「私たちの話でそれを取り上げるのはちょっと難しいことでした。というのも、それはずっと後のためのものだからです。」とイェーツは述べた。「私たちはあとからそれを取り入れることも多分できると考えて、そのような方法を取りました。」クリーチャーは残ったが、ドビーが登場する場面はすべてカットされ、彼の重要な行動は他の登場人物に与えられた。 『炎のゴブレット』でミランダ・リチャードソンが演じたジャーナリストのリータ・スキーターも削られた。原作では、ハーマイオニーが彼女を脅して、ほかの魔法ワールドがハリーの主張を否定する中、ハリーを支持する記事を書かせる。リチャードソンは、「この本が映像化されることはないでしょう、完全には。(…) 本からある面を取り出して、商業的に成立しそうで、人々が見たいと思うようなものを作るでしょう」と述べた。
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