ルーツ、古葉監督時代とは? わかりやすく解説

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ルーツ、古葉監督時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:46 UTC 版)

広島東洋カープ」の記事における「ルーツ、古葉監督時代」の解説

1975年 球団初の外国人監督として、ジョー・ルーツ監督就任。「野球対す情熱前面出そう」というスローガンの元、燃え闘志を表す意味をこめて球団に赤を基調とする新ユニフォーム提案するが、既にシーズン用のユニフォーム出来上がっており変更可能な帽子ヘルメットの色だけ紺色から赤になった。 しかし開幕早々4月27日の対阪神戦において佐伯和司投球判定を巡って抗議試合ボイコット起こす騒動となった。この時、重松良典球団代表試合続行指示したため、試合中介入に不満を持ったルーツ4月30日監督辞任5月2日までの代行コーチ野崎泰一就き、翌5月3日古葉竹識コーチから監督就任この年オールスターゲームの第1戦(甲子園)では山本浩二衣笠祥雄が共に1試合2本塁打記録するなど、「赤ヘル旋風」を巻き起こした中日阪神熾烈な優勝争いの末、9月10日対中日戦(広島市民球場)では乱闘事件があったものの、10月15日巨人戦後楽園)に勝利し球団創立25年目初優勝達成した。この時の先発外木場義郎で、ウイニングボールを捕ったのは左翼手水谷結果的に2位中日4.5ゲーム差3位阪神と6ゲーム差大混戦だった。長き亘る低迷で「太陽西から昇っても広島優勝できない」とまで揶揄され、身売り危機もあったがようやく「お荷物球団」を返上した日本シリーズでは阪急ブレーブス対戦するも4敗2分で敗退この年首位打者となった山本浩二衣笠祥雄最多勝外木場義郎盗塁王大下剛史らの活躍目立った優勝後、平和大通り行われた優勝パレードではファン30万人集めたこの年観客動員120万人で、球団史初め100万人を突破した。またこの年春に山陽新幹線岡山駅から博多駅まで延伸開業しチーム遠征時の列車乗車時間が大幅に短縮された。これを振り返って外木場は「カープ優勝できたのは新幹線のおかげ」とも語っている。 経営面では創設以来累積赤字この年解消している。 1976年 池谷公二郎20勝を挙げ最多勝沢村賞巨人・阪神との優勝争い加われ当初山本浩二不振もあって低迷9月11連敗記録最後はかろうじて3位に。 1977年 5位に終わった。胸文字・胸番号背番号・アンダーシャツ・ストッキングが赤一色になり、この年から“カープ=赤”が定着する12月23日江夏豊南海ホークスより移籍南海監督だった野村克也古葉南海プレーし野村親交があった)が古葉に「(江夏は)まだ使えるよ」と太鼓判押したという。高橋里が20勝。3年連続同一チームから最多勝投手輩出。セでは以降なし。一方前年最多勝池谷投手シーズン最多被本塁打48歴代1位)の記録も。 1978年 カープ打線が最も破壊力発揮したシーズンで、この年チーム205本塁打日本プロ野球記録更新44本の山本浩二や、40本のヘンリー・ギャレット、33本のジム・ライトル30本の衣笠祥雄など4人が30本以上を記録した。また打点692得点713は、ラビットボールを使用して本塁打増えた1948年から1950年除いてプロ野球最多得点であった。しかし前半戦苦戦続き首位巨人に10.5ゲーム差つけられ、5位に沈む。後半戦投打かみ合い3113敗7分と驚異的な追い上げ見せるも、巨人逆転して優勝したヤクルトスワローズと5ゲーム差で、何とか3位確保するとどまった1979年 開幕前から独走予想されたが、開幕は4連敗スタート序盤苦戦続いた。しかし、衣笠死球による亀裂骨折や、高橋慶彦33試合連続安打チーム勢い付き8月になり一気首位に立つと4年ぶり2度目リーグ制覇。日本シリーズでは、近鉄バファローズを4勝3敗で下し悲願の日本一達成する。第7戦では、江夏無死満塁という絶体絶命場面を無失点切り抜け日本一に導く(江夏の21球)。 1980年 この年前年とは打って変わり序盤から首位独走し続け2位以下に大差をつけて球団初の連覇達成勢いそのままに、近鉄を4勝3敗で下し日本シリーズ2連覇成し遂げた同年オフ江夏豊日本ハムエース高橋直樹との大型トレード成立1981年 この年は、序盤から苦戦続き期待高橋直樹がわずか2勝、一時最下位に沈むなど、8月終了時点46486分の4位と、首位巨人に12.5ゲーム差つけられる9月15勝3敗と驚異的な追い上げ見せるも、優勝した巨人と6ゲーム差2位終わり3連覇逃す1982年 山本無冠に終わるなど打線振るわず結果は4位に終わる(1980年代唯一のBクラス)が優勝した中日11勝9敗6分勝ち越した。オフテコ入れとして福士敬章内田順三金田留広らに戦力外通告水沼四郎中日トレード水谷実雄阪急ブレーブス加藤英司との大型トレード敢行するなどV戦士放出敢行北別府学が初の最多勝津田恒美活躍し球団初の新人王獲得1983年 7月終了時点まで巨人首位争い演じるも、8月に4連敗2度喫するなど5勝14敗1分と失速優勝した巨人と6ゲーム差2位に終わる。 1984年 4月12連勝記録するなど、14勝2敗2分と開幕ダッシュ成功するその後中日猛追にあい、首位明け渡すと、8月終了時点中日と1ゲーム差2位となる。しかし、9月6日阪神戦勝利し首位返り咲くと、そのまま逃げ切り4年ぶりのリーグ優勝山本衣笠加え山根和夫北別府学大野豊投手活躍この年75勝を挙げたが、これは2016年更新されるまで球団シーズン最多勝記録だった。西武から復帰小林誠二最優秀防御率小早川毅彦新人王日本シリーズでは阪急ブレーブス対戦し、4勝3敗で3度目日本一になった日本一になっている球団倒して日本一この年唯一である。チームこの年以降日本一には1度もなっておらず、2021年現存する12球団の中で最も日本一から遠のいている。 1985年 サウスポー高木宣宏ブレイクオールスター前までに9勝を挙げる後半不調に陥る2年目川端順新人王高橋慶彦5年ぶり3度目盗塁王8月まで阪神巨人優勝争い演じていたが、9月阪神との直接対決連敗し、7連敗喫するなど失速し最終的に優勝した阪神と7ゲーム差2位に終わる。この年優勝した阪神には1511敗、同じく優勝争いをした巨人にも1412敗と勝ち越したものの、阪神17勝6敗3分と大きく勝ち越し大洋対し1014敗2分と負け越したのが響いた古葉この年限り監督勇退した。同年松田元オーナー代行就任している。

※この「ルーツ、古葉監督時代」の解説は、「広島東洋カープ」の解説の一部です。
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