ルーツの探求とソロ活動とは? わかりやすく解説

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ルーツの探求とソロ活動 (1985年 - 1989年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 08:42 UTC 版)

トーキング・ヘッズ」の記事における「ルーツの探求とソロ活動 (1985年 - 1989年)」の解説

アルバムリトル・クリーチャーズ』では前作までリズムへの偏執そのままに、アメリカ様々なカントリー・ミュージックエッセンス取り込んだ。「アンド・シー・ワズ」「ロード・トゥ・ノーウェアー」などがヒットしたが、バンドツアーは行なわず、同路線での次作レコーディング始めたまた、それと並行してデヴィッド・バーン映画の製作取りかかったアルバム『トゥルー・ストーリーズ』がリリースされると、まもなくバーン映画『トゥルー・ストーリーズ(英語版)』(1986年)も公開された。『トゥルー・ストーリーズ』からは「ワイルド・ワイルド・ライフ」がヒットしたが、これが最後シングルヒットとなったこの頃からバンド内で不協和音が響くようになった。ジェリー・ハリスンがこの時期に再びソロ活動始めアルバム『カジュアル・ゴッズ』をリリースしたが、シングルリヴ・イット・アップリリース時のインタビューで、バーンについて「彼が総てやっているわけじゃない」とバンド内での自分音楽的貢献が全く評価されない現状嘆いている。 バンドとして最後アルバムになったネイキッド(トーキング・ヘッズのアルバム)英語版)』は、バーン意向により、パリレコーディングされた。当時パリライズーク (en:zouk)、タンゴサンバハイライフなどの民族音楽隆盛だった。スティーヴ・リリホワイト(英語版)との共同プロデュース作『ネイキッド』では現地ミュージシャン大々的起用し、「さまざまな音楽要素混ざりあったもの」を目指した。 『ネイキッド』後、バーンワールドミュージック専門レーベル「ルアカ・バップ」を設立し、『ネイキッド』の音楽性を更に押し進めたアルバム『レイ・モモ』をソロ・アルバムとしてリリースすると、バンド実質的な解散状態に陥った

※この「ルーツの探求とソロ活動 (1985年 - 1989年)」の解説は、「トーキング・ヘッズ」の解説の一部です。
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