ルーツの探求とソロ活動 (1985年 - 1989年)
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アルバム『リトル・クリーチャーズ』では前作までのリズムへの偏執をそのままに、アメリカの様々なカントリー・ミュージックのエッセンスを取り込んだ。「アンド・シー・ワズ」「ロード・トゥ・ノーウェアー」などがヒットしたが、バンドはツアーは行なわず、同路線での次作のレコーディングを始めた。また、それと並行して、デヴィッド・バーンは映画の製作に取りかかった。 アルバム『トゥルー・ストーリーズ』がリリースされると、まもなくバーンの映画『トゥルー・ストーリーズ(英語版)』(1986年)も公開された。『トゥルー・ストーリーズ』からは「ワイルド・ワイルド・ライフ」がヒットしたが、これが最後のシングルヒットとなった。 この頃からバンド内で不協和音が響くようになった。ジェリー・ハリスンがこの時期に再びソロ活動を始め、アルバム『カジュアル・ゴッズ』をリリースしたが、シングル「リヴ・イット・アップ」リリース時のインタビューで、バーンについて「彼が総てをやっているわけじゃない」とバンド内での自分の音楽的貢献が全く評価されない現状を嘆いている。 バンドとして最後のアルバムになった『ネイキッド(トーキング・ヘッズのアルバム)(英語版)』は、バーンの意向により、パリでレコーディングされた。当時のパリはライ、ズーク (en:zouk)、タンゴ、サンバ、ハイライフなどの民族音楽が隆盛だった。スティーヴ・リリホワイト(英語版)との共同プロデュース作『ネイキッド』では現地のミュージシャンを大々的に起用し、「さまざまな音楽の要素が混ざりあったもの」を目指した。 『ネイキッド』後、バーンがワールドミュージック専門のレーベル「ルアカ・バップ」を設立し、『ネイキッド』の音楽性を更に押し進めたアルバム『レイ・モモ』をソロ・アルバムとしてリリースすると、バンドは実質的な解散状態に陥った。
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