ルーツロックレゲエの隆盛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:17 UTC 版)
「ルーツロックレゲエ」も参照 1972年1月、キングストンで録音され、レゲエのリズムを入れたポール・サイモンのシングル「母と子の絆」が発売。同年4月1日付のビルボード・Hot 100で4位を記録した。同年6月に発売されたジョニー・ナッシュの「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」は11月に全米1位を獲得する大ヒットとなり、アメリカでもレゲエへの注目が高まった。 1972年に制作されたジミー・クリフ主演映画の『ハーダー・ゼイ・カム』は翌1973年にアメリカで公開され、レゲエの世界への浸透の一助となった。1973年4月、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズがアルバム『キャッチ・ア・ファイア』によりメジャーデビュー。 1974年にはエリック・クラプトンがボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」をカバーし、全米1位を獲得。これらの出来事を期にレゲエは西インド諸島とイギリス以外の諸国にも認知と人気を拡大した。特にボブ・マーリーは第三世界出身の歌手として最も大きな商業的成功を収め、多くの国々の音楽家に影響を与えた。 1972年頃より、バーニング・スピア、カルチャー、ピーター・トッシュ、バニー・ウェイラー、オーガスタス・パブロらはロッカーズやステッパーズの重厚なリディムにラスタファリのメッセージを乗せた楽曲を多く発表した。これらのレゲエを特にルーツロックレゲエ、またはルーツレゲエと呼ぶ。その一方で、クリフ、デニス・ブラウン、グレゴリー・アイザックスらはルーツロックレゲエだけではなく欧米のポップ・ミュージックのカバーや多くのラブソングを発表していた。
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