ルーツ自動車傘下(1931-1967年)
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さらに1931年にはルーツ自動車にハンバーごと買収される。ヒルマンはルーツ・グループ内での売れ筋ブランドとされた。ルーツのブランドはこの時点でハンバーとヒルマンのみで、ハンバーはヒルマンより高級車に位置づけられた。 1931年10月、ルーツはヒルマン・ミンクスをロンドンモーターショーで発表。大衆向けとしてデザインされた。159ポンドで販売され、大戦間で最も売れた車になった。ミンクスは絶えず改良された。戦争前の最終モデルではシャーシとボディが一体構造となるユニタリー・コンストラクションとなり、初期のモノコックボディとなった。ヒルマン・ミンクスは152,000台が生産されている。 エアロ・ミンクス(Aero Minx )というクーペモデルが1933年から1935年に生産された。 1934年、サンビームがルーツ傘下となる。 1939年、サイドバルブを復活させ2.1L(のち2.6L)6気筒エンジンとして1931年のウィザードに搭載、翌年1932年には1185cc4気筒のヒルマン・ミンクスに搭載した。ミンクスはボディスタイルが幾度か変えられ第二次世界大戦終了時まで生産された。ウィザードは1934年20/70に代わり、これは1936年まで続き、サイドバルブ直列6気筒2576cc(のち3181cc)搭載のホークに引き継がれる。ホークはのち、ボディが変更されハンバー・ブランドで販売される。 ミンクスの信頼性が買われ、戦時中は軍部から軍用スタッフカーとして依頼を受け戦争終了時まで生産を続けた。この点で戦後の乗用車生産再開時に資材不足に悩んだ他社に比べ、ルーツは即時再開が可能だった。
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