アストン・バレットとは? わかりやすく解説

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アストン・バレット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 17:07 UTC 版)

アストン・バレット
2008年、アメリカ合衆国アリゾナ州タクソンで演奏するアストン・バレット
基本情報
出生名 アストン・フランシス・バレット
別名 ファミリーマン
生誕 (1946-11-22) 1946年11月22日
出身地 ジャマイカキングストン
死没 2024年2月3日(2024-02-03)(77歳)
ジャンル レゲエ
職業 ベーシスト
作曲家
音楽家
担当楽器 ベース
活動期間 1960年代 - 1980年代
共同作業者 ボブ・マーリー
ザ・ウェイラーズ

アストン・バレット(Aston Barrett, 1946年11月22日 - 2024年2月3日)、本名アストン・フランシス・バレット(Aston Francis Barrett)は、ジャマイカキングストン市生まれのレゲエベース奏者。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズで演奏したバレット兄弟の一人(もう一方はドラムスのカールトン・バレット)。愛称はファミリーマン (Family Man) で、さまざまな女性との間に52人の子供ができたために呼ばれている。

彼は、レゲエにおけるベースの旋律の役割を確立させた第一人者である。1969年からボブ・マーリーが死ぬ1981年の間、カールトン・バレットともにレコーディングとライブ演奏で現在のレゲエに欠かせない基本的なリズムパターンを発明した。また、バーニング・スピアからポップスのジョン・デンバーまで、幅広いアーティストと一緒に演奏した。

ローリング・ストーン誌が選んだ「史上最高のベーシスト50選」で第28位に選ばれている[1]

略歴

アストン・バレットは最初、「ヒッピー・ボーイズ」 (The Hippy Boys) というバンドでギターを弾いていた。1960年代後半に、リー・ペリーに誘われてアップセッターズに加入する。1969年にアップセッターズは 「リターン・オブ・ジャンゴ」 (Return of Django) をイギリスでヒットさせる。同年、リー・ペリーがプロデュースしたボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズにも参加し、「ダピー・カンカラー」 (Duppy Conquerer) 、「ソウル・レベル」 (Soul Rebel) 、「スモール・アクス」 (Small Axe) といったシングルを録音する。

リー・ペリーの元を離れた1971年以降は、ウェイラーズの一員として活躍した。ルーツロックレゲエの隆盛とともに、アップセッターズの頃には見られなかったより複雑なベースラインへと進化していき、ボブ・マーリーの曲の印象をより強靭で野性的なものにした。

ラスタファリアンでもあるバレットは2024年2月3日に米国フロリダ州マイアミ大学病院で死去。77歳没 [2]

脚注

  1. ^ The 50 Greatest Bassists of All Time” (英語). rollingstone.com (2020年7月1日). 2021年12月27日閲覧。
  2. ^ Chen, Isabell (2024年2月3日). “Reggae Musician Aston "Family Man" Barrett Has Died At Age 77” (英語). World Music Views®. 2024年2月3日閲覧。



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