セッション活動による来歴とは? わかりやすく解説

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セッション活動による来歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 17:07 UTC 版)

エリック・ゲイル」の記事における「セッション活動による来歴」の解説

エリック・ゲイル1950年代後半から、ザ・ドリフターズ、ジャッキー・ウイルソン、ザ・フラミンゴス、マキシー・ブラウン、リトル・アンソニー、アイズレー・ブラザーズジェイムス・ブラウンリトル・リチャード等のセッション・ミュージシャンとして仕事スタートした1962年復帰したロック王様リトル・リチャードが再びステージに立ちビック・コンサートが行われたが当時無名ジミ・ヘンドリックスエリック・ゲイルバック・ミュージシャンとしてプレイしていた。その時コンサート前座務めたのが無名時代ビートルズであった1965年ゲイル参加したアレサ・フランクリンの「リスペクト」が、グラミー賞「ベスト・リズム& ブルースレコーディング部門」を受賞した1966年クリード・テイラー認められCTIレコードサイドマンとして活躍1972年クリード・テイラープロデュースにより自身アルバムフォアキャスト』を発表1969年エリック参加によるクインシー・ジョーンズアルバム『ウォーキング・イン・スペース』(1973年)、『バッド・ガール』、『ボディ・ヒート』はミリオン・コピーの売り上げと6ヶ月アルバム・チャート1位となった1970年レコーディングされたダイアナ・ロスのファースト・ソロ・シングル「Reach Out and Touch」、続くセカンド・シングル「Ain't No Mountain High Enough」はヒット・チャート1位となる。1974年には「You Are Everything」(ダイアナ・ロス&マーヴィン・ゲイ)をレコーディングし、この2人によるアルバムビッグ・ヒットとなった1971年録音し1972年発表され当時14歳だったマイケル・ジャクソンの「ベンのテーマ」は全米No.1ヒットとなった1972年グラディス・ナイト&ザ・ピップスと、R&B No.1ヒット「Neither One of Us」をレコーディング1973年グラミー賞「ベスト・ポップ・ボーカル部門」を受賞した1972年エリック・ゲイルのリーダー・アルバム『ネグリル』をジャマイカボブ・マーリー使用していたスタジオで録音した参加アーティストボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズアストン・バレットドラム)に加え、セドリック・ブルックス(ベース)、ピーター・トッシュギター)、リチャード・ティーピアノ)、ジョー・ヒッグス1972年映画『恐怖のメロディ』使われロバータ・フラックの「愛は面影の中に (The First Time Ever I Saw Your Face)」が全米1位の大ヒット記録。また同年ロバータダニー・ハサウェイとのデュエット曲恋人は何処に (Where Is the Love)」などのレコーディング参加し大ヒット放ったプロデューサーラルフ・マクドナルド1973年続いてロバータは「やさしく歌って (Killing Me Softly with His Song)」で全米1位の大ヒット記録ゲイルはこの曲のミュージック・ディレクターを務めたロバータグラミー賞の「最優秀レコード賞」、「最優秀楽曲」、「最優秀女性ボーカル」の3部門を受賞した1975年友人であったヴァン・マッコイシングルハッスル」を録音。この曲はアメリカをはじめ、世界中でディスコ・ブームを巻き起こすきっかけとなったインストゥルメンタルのディスコ・アルバム『ディスコ・ベイビー』からシングルカットされ、全米1位・全世界レコード売上1000万上の大ヒット記録しグラミー賞「最優秀ポップ・インストゥルメンタル賞」を受賞1975年ジャマイカからニューヨークへ戻りゲイルはゴードン・エドワーズをリーダーにフュージョン・バンド、スタッフ結成ニューヨーク・シティライブ・ハウス「Mikelle's」(ジャズ・クラブ老舗)を中心にセッション活動をするようになったスタッフファースト・アルバムヴァン・マッコイプロデュース務めグラミー賞ノミネートされた。 1976年当時人気ナンバー1の視聴率獲得していたTV番組『サタデー・ナイト・ライブ』スタッフメンバーと共に出演しレギュラー務めた1978年クインシー・ジョーンズアルバム『スタッフ・ライク・ザット』はビルボード・チャート連続1位となったメンバースタッフメンバー中心にパティ・オースティンアシュフォード&シンプソンチャカ・カーン等により制作された。 1978年マイケル・ジャクソンダイアナ・ロス主演映画ウィズ』は、クインシー・ジョーンズ音楽プロデュースしゲイル参加している。 1980年には、ポール・サイモン脚本を手がけた映画『ワン・トリック・ポニー』にゲイル俳優として出演した作品グラミー賞ノミネートされアメリカではかなりの評価受けた映画となった受賞のがした1980年グローバー・ワシントン・ジュニアエレクトラ・レコードからアルバム『ワインライト』を発表収録曲Just the Two of Us』が大ヒットし、グラミー賞ベストR&Bソング賞」を受賞する。このアルバム以外にも『ミスター・マジック』(1975年)等、ワシントン多くアルバム参加している。 1980年渡辺貞夫ラルフ・マクドナルドリチャード・ティースティーヴ・ガッドアンソニー・ジャクソンらと武道館コンサート・ライブ参加1986年にはニューヨークからロサンゼルス移りクインシー・ジョーンズプロデュースしたマイケル・ジャクソンアルバムバッド』(1987年8月発表)の録音参加1987年からロサンゼルスTVショー毎日レギュラー出演しその間に『スター・トリック』のテレビ映画出演受けていた。 1993年アル・ジャロウは、ロサンゼルスでのスタジオ録音ライブ録音アルバムテンダネス』を収録したジャズR&Bラテン3部門でグラミー賞受賞したアル・ジャロウにとっての集大成といえるアルバムで、CDDVDゲイル最後参加作品となったが、亡くなった1994年5月以降リリースされた。

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