『恐怖のメロディ』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:12 UTC 版)
「クリント・イーストウッド」の記事における「『恐怖のメロディ』」の解説
私が決してオスカー賞を受賞できない理由を知っていますか?まず第一に、私がユダヤ人ではないから。第二に、アカデミーの古臭い奴らのために金を作り過ぎるから。そして最も重要な理由は、私が審査員と寝ていないからです。 1970年代のクリント・イーストウッドのアカデミー賞レースについてのコメント 1971年はイーストウッドの映画キャリアにとって大きな転機となった。彼は生前のレナードと最後に語った映画の製作に取り組み、『恐怖のメロディ』として実現させた。脚本はジョー・ヘインズが書き、その後ディーン・リーズナーが手を加えた。映画はラジオ番組の人気DJデイブに異常な愛情を向ける女性イブリンを中心に描かれ、デイブに関係を断られた彼女が異常性を増して殺人鬼になっていく。脚本のコンセプトは、イーストウッドが『ローハイド』に起用された際に居合わせたスタッフのソニア・チャーナスが提案した脚本が元になっている。舞台はロサンゼルスの設定だったが、イーストウッドの提案でカーメルに変更され、同地のラジオ局やバー、レストラン、さらにイーストウッドの友人宅で撮影された。 1970年9月からモントレーで撮影が始まった。イーストウッドにとって監督デビュー作となり、撮影監督ブルース・サーティース、編集カール・パイジンダー、音楽ディー・バートン(英語版)などシーゲル作品の撮影スタッフが製作に協力している。イーストウッドの綿密な撮影計画と効率的な撮影により、撮影は予定よりも4日から5日早く終了した。映画は1971年10月にサンフランシスコ国際映画祭でプレミア上映された後、11月に公開された、アンドリュー・サリスやアーチャー・ウィンステン(英語版)などの批評家から高い評価を得た。
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