ウェイラーズとは? わかりやすく解説

ウェイラーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/08 06:43 UTC 版)

ウェイラーズ
別名
  • ウェイリング・ルードボーイズ
  • ウェイリング・ウェイラーズ
出身地 ジャマイカ キングストン
ジャンル
活動期間
レーベル
旧メンバー

ウェイラーズ (The Wailers) は、1963年に結成されたジャマイカボーカルグループバンド

来歴

1961年キングストン市トレンチタウンに住む友人であったボブ・マーリーピーター・トッシュバニー・ウェイラーは、ジョー・ヒッグスの紹介によってビヴァリー・ケルソー、チェリー・スミス、ジュニア・ブレスウェイトに出会い、ウェイラーズの前身となるティーネイジャーズ (The Teenagers) を結成する[2]。その後、ウェイリング・ルードボーイズ (The Wailing Rudeboys)、ウェイリング・ウェイラーズ (The Wailing Wailers) と様々な名称で呼ばれていたグループ名も、最終的にウェイラーズに落ち着き、1963年にはブレスウェイトがリードボーカルを取った「It hurts to be alone」などをコクソン・ドッドスタジオ・ワンに録音した[3]。しかし、ブレスウェイトが家庭の事情でアメリカ合衆国シカゴに引っ越してしまったため、ドッドの薦めによりマーリーがリードボーカルを取るようになった[3]。マーリーのリードにより同年末に発表した「Simmer Down」は1964年初頭にヒットチャート1位を獲得した[2]

1966年にはケルソーとスミスも脱退し、マーリー、トッシュ、ウェイラーによるトリオとなった。ドッドの元で活動していたこの時期のウェイラーズは、スタジオ・ワンに「ワン・ラヴ」、「Put it on」などをはじめ100曲以上を残した[2]

1967年にはドッドとの関係を解消したウェイラーズはリー・ペリーの元を訪ね、ペリーのプロデュースにより「ダピー・カンカラー」や「スモール・アクス」、「400 Years」、「Soul Rebel」などを新しいリズム「レゲエ」に乗せて録音した[2]。この時期ウェイラーズは他にもクランシー・エクルズのプロデュースによる「Nice time」などを発表した。

1970年代初頭にはペリーのスタジオバンドであったアップセッターズアストン・バレットカールトン・バレットウェイラーズ・バンド (the Wailers Band) としてウェイラーズに加わった[4]

ウェイラーズは1972年クリス・ブラックウェル率いるアイランド・レコードと契約しアルバム『キャッチ・ア・ファイア』によってメジャーデビューする。しかし、ブラックウェルはウェイラーズをグループとしてではなく、カリスマ性のあるボブ・マーリーを全面に押し出し、売り込んでいった。これに反発したトッシュとウェイラーは、アルバム『バーニン』を最後にウェイラーズを脱退し、1975年1月には正式にウェイラーズ解散が発表された[2]

その後、マーリーを中心としたバンドは新たなメンバーを加え、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズとしてマーリーの死まで活動を続けた。その一方でトッシュとウェイラーもソロキャリアを積み重ねていくこととなる。

2010年現在ウェイラーズの元メンバーの多くは既に亡くなっており、存命人物はバニー・ウェイラーとビヴァリー・ケルソーだけである。

ディスコグラフィ

メンバー

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b Ruhlmann, William. The Wailers | Biography & History - オールミュージック. 2021年7月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e 「Bob Marley Life & His Music」『RM』p40 - 45。
  3. ^ a b 「コクソン・ドッド、ボブを語る」『RM』p52 - 53。
  4. ^ Lee Scratch Perry Interview, New Musical Express, 17 November 1984

参考文献

  • Farley, Christopher (2007). Before the Legend: The Rise of Bob Marley, Amistad Press ISBN 0060539925
  • 『RM レゲエマガジン』47号、株式会社タキオン、1997年。

外部リンク


ウェイラーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 14:02 UTC 版)

ピーター・トッシュ」の記事における「ウェイラーズ」の解説

詳細は「ウェイラーズ」を参照 1960年代前半に、トッシュ音楽の師であるジョー・ヒッグス通じてボブ・マーリーバニー・ウェイラー出会いスタジオ・ワンオーディションを受ける。ボブバニーと共にハーモニー完成させた後、トッシュボブギター演奏法教えた1962年、計6名でザ・ウェイリング・ウェイラーズ結成するザ・ウェイリング・ウェイラーズは、1965年終わりに3名になるまでに、初期スカの大ヒットシングル「シマー・ダウン」の他、何曲かを録音したボブ・マーリー1966年大半母親と共にアメリカで過ごすが、1967年前半ジャマイカに戻る。 ボブアメリカから戻ったとき、ピーターバニーはすでにラスタファリアンで、3人はラスタファリ運動大きくかかわるようになったその後すぐ、彼らはバンドの名前をザ・ウェイラーズ改名した。 ウェイラーズは、スカアップテンポの曲から、遅くなったロックステディテンポの曲まで、政治的社会的なメッセージ歌詞乗せて歌ったリー・ペリーによって「ソウル・レベル」、「ダピー・カンカラー」、「スモール・アックス」を含む初期レゲエヒット曲録音される以前に、彼らはアメリカ人シンガーのジョニー・ナッシュの歌をいくつか作曲している。 1970年アップセッターズベーシストアストン・バレットと、ドラマーカールトン・バレットバレット兄弟加入したことによって、ウェイラーズはカリブ圏のスーパースターになった1971年、ウェイラーズと並行してソロ活動始め、初のソロ・シングル「マガ・ドッグ」をリリース1973年、ウェイラーズはアイランド・レコード社と契約結んで、彼らのデビューアルバム、『キャッチ・ア・ファイア』をリリースした同年セカンドアルバムバーニン』もリリースする1973年に、トッシュ運転中から転落し同乗していたガールフレンド死亡、彼自身頭蓋骨痛めた一命取りとめた。1974年に、アイランド・レコード社のクリス・ブラックウェル社長ピーター・トッシュソロ・アルバム発売することを拒否し、これを不公平な処遇感じたトッシュバニーはウェイラーズを去ることになる。

※この「ウェイラーズ」の解説は、「ピーター・トッシュ」の解説の一部です。
「ウェイラーズ」を含む「ピーター・トッシュ」の記事については、「ピーター・トッシュ」の概要を参照ください。

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