ホンダ・ドリーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/19 06:48 UTC 版)
ドリーム(DREAM)は、本田技研工業が製造販売するオートバイに使用する商標である。
概要
由来は創業者である本田宗一郎の『夢=dream』を引用[注 1]したもので、1950年代以降は主として同社の排気量250ccクラスから上級モデルやフラグシップとなる高性能モデルに与えられたシリーズ商標である[2]。1970年代半ばで使用が中止されたが、1990年代以降は単独車名として使用するモデルが製造販売される。
車種一覧
#単独車名で使用されるモデルを除いて記載された車名の前にすべてドリームが付帯する。
C70シリーズ以前のモデル
D

ホンダコレクションホール所蔵車
1949年8月に発売された本格的オートバイでドリームシリーズ第1号である[3]。車体はフレームに鋼板チャンネル型を採用し、サスペンションは前輪をテレスコピック、後輪をリジットとした。内径x行程=50.0x51.0(mm)・排気量98ccの空冷2ストローク単気筒ロータリーバルブエンジンを搭載し、最高出力3ps/5,000rpm[注 2]・最高速度50km/hのスペックを持つ[3]。
2速マニュアルトランスミッションを搭載するが、1速はシフトペダルを爪先で踏込んだ状態でのみ、2速は踵で踏込んだ状態でのみ、それ以外はニュートラル状態という乾式コーンクラッチを採用[4]。また前輪ブレーキレバーはハンドル左側に装着され、右側はエンジンを停止させるためのデコンプレバーという特異性がある[4]。このため販売当初は爆発的に売れたもののすぐに不振となり後述するE型へモデルチェンジされた[4]。
E
1951年10月発売。車体構造こそ上述のD型を継承するものの極初期生産分を除いてリヤサスペンションをブランジャーへ、搭載するエンジンを内径x行程=57.0x57.0(mm)・排気量148ccの同社初となる空冷4ストローク単気筒OHVへ変更したモデルで、車両重量はD型の80kgから97kgへ増加したが、最高出力5.5ps/5,000rpm・最大トルク0.8kg-m/3,000rpm・最高速度75km/hへスペックアップした。またエンジンオイルの潤滑はドライサンプを採用する。
搭載されるミッションは引き続き2速とされたが、クラッチを乾式コーンから湿式多板へ、転倒時の安全対策からハンドルバー端を支点にするオポジットレバーによるクラッチを左側に、前輪ブレーキを右側に配置する設計変更を実施した。
後に同社2代目社長となる河島喜好が設計・開発を担当し、発売に先立ち1951年7月15日に箱根峠越えテスト走行のテストライダーを務めた[5]。
本モデルは以下に示すモデルチェンジを繰り返し、月産台数をD型の最高160台程度から、当初は500台、1953年には2,000台、1954年には年間で32,000台まで増加させた[6]。
- 2E
1952年1月発売[7]。シリンダー内径を57.0→60.0(mm)へボアアップし、排気量を159ccへアップさせたモデル。最高出力 6.0ps/5,400rpm・最大トルク1.0kg-m/3,000rpmとなったほかにスピードメーターの装備やチャンネルフレームを縁取っていたモールの意匠を変更した。
- 3E
1953年発売[7]。搭載ミッションを2速→3速へ変更。
- 4E
1954年1月発売[7]。法規制の改正により搭載するエンジンを新設計した内径x行程=60.0x60.0(mm)・排気量220ccへ変更したモデル。最高出力8.0ps/5,000rpmへアップしたものの車両重量も142kg増加したほか、最高速度は90km/hとなった。
- 6E
1955年11月発売[7]。E型最終モデル。再びエンジンの設計変更を実施し、内径x行程=65.0x57.0(mm)・排気量220cc・最高出力6.5ps/4,800rpm・最大トルク1.1kg-m/3,000rpmとなった。車両重量は97kg、最高速度も80km/hとスペックダウンした。
S
空冷4ストロークSOHC単気筒エンジンを搭載するシリーズ。以下のバリエーションが製造・販売された。
- SA
1955年6月発売。プレスバックボーンフレームを採用し、サスペンションは前輪をテレスコピック、後輪をスイングアーム。ドライブチェーンを車体右側に、マフラーを左側に配置する。エンジンは内径x行程=60.0x64.0(mm)・圧縮比7.5・排気量246cc・最高出力10.5ps/5,000rpm・最大トルク1.9kg-m/4,500rpm・最高速度100km/hのスペックを持つ。またEシリーズで採用されていたオポジットレバーは通常のタイプとされたほか、トランスミッションも4速となった。車両重量171kg。
1956年に7kg軽量化・ウィンカー標準装備・最高出力を12psへアップ・前輪サイズを2.75→3.00へアップのマイナーチェンジを実施。
- SB
1955年4月発売。SAとの相違は内径x行程=76.0x76.0(mm)・排気量344ccのエンジンを搭載する点で最高出力は14.5ps/5,400rpmとされた。また外観上ではテレスコピックフォークがSAの塗装仕上げに対してボトムケースをクロームメッキ仕上げとして差別化を図った。
1956年のモデルチェンジで最高出力を16psへアップ。
- ME・MF
1957年モデルへのチェンジの際にSA・SBからの型式名と共に以下の仕様変更を実施。
- 前輪サスペンションをボトムリンクへ変更。
- 前輪サイズを19→18インチにダウン。
- MFは最高出力20ps/6,500rpm・最大トルク2.6kg-m/3,500rpmへアップ。
C

(C77輸出仕様)
実用車的な位置付けがされ後のCDシリーズのベースとなったモデル。車体はプレスバックボーンフレーム・前輪ボトムリンクサス・右チェーン左マフラーなどME・MFから踏襲するもののデザインは125ccクラスのC90・C92と共通する神社仏閣と呼ばれる新しいタイプに変更、16インチタイヤを装着する。搭載されるエンジンは前傾25°の空冷4ストロークSOHC2気筒だが、車名が70からはじまる排気量247ccモデルが内径x行程=54.0x54.0(mm)・圧縮比8.2・最高出力18ps/7,400rpm・最大トルク1.8kg-m/6,000rpm。車名が75からはじまる排気量305ccモデルが内径x行程=60.0x54.0(mm)・圧縮比8.2・最高出力21ps/7,200rpm・最大トルク2.2kg-m/6,000rpmの相違がある。なお北米向け輸出仕様はCAの車名となる。
- C70/C75
1957年10月1日発売[8]。ME・MFからのフルモデルチェンジ車。電装は6V。
- C71/C76
1958年6月発売[8]。電装を強化しセルモーターを装備。本モデルより輸出を開始。
- C72/C77
1960年4月発売[8]。電装を12V化したほか以下の改良を実施。
- クランク周辺の部品点数を削減
- 潤滑方式をウエットサンプへ変更
- C72は圧縮比を8.3とし最高出力を20psへアップ
- C72II
1961年発売。C72のプレスハンドルをアップタイプのパイプハンドルへ換装したモデル。
- C72III
1963年発売。C72IIからのモデルチェンジ車で、タンクを大型化ならびにデザイン変更・リヤウインカーを車体ビルトインからステーを介在させる方式へ変更・テールランプを大型化・シートを大型化などを実施。
- C78
1963年発売。C72IIIに該当するモデルチェンジ車。
なお、本シリーズは同一名称であっても微妙な設計変更を実施したほか、後述するCB72スーパースポーツ/CB77スーパースポーツをはじめとする派生車種が多数存在する。
CB
詳細についてはホンダ・CBならびに各モデルのリンク先も参照のこと。
- CB72スーパースポーツ
- CB77スーパースポーツ
- CB250
- CB250T
- CB350
- CB350FOUR
- CB360T
- CB400FOUR
- CB450
- CB500FOUR
- CB500T
- CB550FOUR
- CB750FOUR
CBM
ホンダ・ドリームCB72スーパースポーツ#ドリームCBM72スーパースポーツを参照のこと。
CD
ホンダ・ドリームCB250#派生車種を参照のこと。
CJ
ホンダ・ドリームCB250#派生車種を参照のこと。
CL
CBシリーズからの派生車種でセンターアップマフラーやブロックタイプタイヤへ換装を行いオン・オフロード両用としたスクランブラータイプ。以下のモデルが製造販売された。
競合他社のモデルがオフ性能をより強化したデュアルパーパスへシフトしたことから、性能に見劣りがするようになり、日本国内向け仕様は1974年までにSLシリーズへ移行する形で生産中止となった。
CM
ホンダ・ドリームCB72スーパースポーツ#ドリームCM72を参照のこと。
CP
ホンダ・ドリームCB72スーパースポーツ#ドリームCP77スーパースポーツを参照のこと。
CR
- ※詳細はホンダ・ロードレーサー#CRシリーズを参照のこと。
ロードレースに使用する競技用車両。C71/C76をベースにしたCR71/CR76、C72/C77をベースにしたCR72/CR77が製造された。
CS
Cシリーズからの派生車種でスポーツ性を高めたモデルである。本シリーズは搭載するミッションが日本国内仕様車はロータリー式、輸出仕様車はリターン式という差異がある。以下の車種が製造された。
- CS71スポーツ/CS76スポーツ
1958年にC71/C76と同時発売。圧縮比を8.2から9.1へアップさせCS71スポーツは最高出力20ps/8,400rpm、CS71スポーツは最高出力24ps/8,000rpmをマークする。またマフラーはアップタイプを装着する。
- CS72スポーツ/CS77スポーツ
1960年にC72/C77と同時発売。本モデルではエンジンの高圧縮比化は施されずに出力はベースモデルと同一である。
SL
CLシリーズよりオフでの走破性を重視した上で後継も兼ねるデュアルパーパスモデルで以下のモデルが製造された。
- SL250S[注 4]
1972年4月10日発表、同月11日発売[9]。排気量248ccから最高出力22ps/8,000rpm・最大トルク2.0kg-m/6,500rpmのスペックを持つ空冷4ストローク4バルブSOHC単気筒エンジンを搭載する。軽量化のため強制開閉式キャブレター・アルミニウムホイールリム・マグネシウム合金製クランクケースカバーを採用し、乾燥車両重量は136kgとされた。
翌1973年に2ストロークエンジンを搭載するエルシノアMT250が発売されたことから製造中止となった[注 5]。
- SL350
ホンダ・ドリームCB250#派生車種を参照のこと。
単独車名で使用されるモデル

以下の6モデルが該当する。
- ドリーム50
- ドリーム・ユガ
- スーパーカブ EX5 ドリーム - タイホンダマニュファクチュアリング・リミテッド(Thai Honda Manufacturing Co., Ltd.)が製造した海外専売モデル。
- ドリーム110i - EX5の後継車。2012年以降に製造されたJA10型のベースモデル。2016年に車名をスーパーカブへ変更。
- スーパードリーム - 上述したドリーム110iをベースに燃料供給をキャブレターへ変更するなどしたホンダベトナムカンパニー・リミテッド(Honda Vietnam Co., Ltd.)が製造するモデル。
- ドリーム125 - NCX カンパニー・リミテッド(NCX Co., Ltd.)が製造した海外専売モデル。
脚注
注釈
出典
- ^ 本田技研工業公式HP 語り継ぎたいこと 『失敗を恐れたらチャレンジはできない』本格的2輪車・ドリームD型登場 p1
- ^ 三栄書房 『百年のマン島』
- ^ a b HONDA Collection HONDA DREAM D
- ^ a b c 本田技研工業公式HP 語り継ぎたいこと 『失敗を恐れたらチャレンジはできない』本格的2輪車・ドリームD型登場 p2
- ^ 本田技研工業公式HP 語り継ぎたいこと 箱根越え伝説のドリームE型誕生『4ストロークのHonda』ここに始まる p1
- ^ 本田技研工業公式HP 語り継ぎたいこと 箱根越え伝説のドリームE型誕生『4ストロークのHonda』ここに始まる p2
- ^ a b c d 本田技研工業公式HP 2輪製品アーカイブ ドリームE
- ^ a b c 本田技研工業公式HP 2輪製品アーカイブ ドリームC70
- ^ 1972年4月10日プレスリリース
関連項目
ホンダ ドリーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/01 08:03 UTC 版)

ホンダ ドリームは本田技研工業の開発したソーラーカーである。ホンダ ドリームはワールド・ソーラー・チャレンジに1990年から1996年まで参戦して1993年と1996年に優勝した。名称は会社のスローガンのThe Power of Dreamsに由来する。
1990年の参戦時にはスピリット オブ ビール/ビエンヌの次点で2位だった[1]。
1993年の参戦時にはダーウィンからアデレードまで35時間28分で平均時速85.0kmで走破して優勝した[1]。ホンダ ドリームはこれまでサンレーサーが保持していた大会記録を塗り替えた[1]。太陽電池の面積を増やすために背中のふくらみが初代よりも増えた。
1996年のホンダ ドリームは2名乗車で33時間53分、平均時速89.8kmで走破して再び記録を更新した[2]。
1999年にはホンダはワールド・ソーラー・チャレンジには参戦しなかった。
模型
田宮模型から1/50スケールの太陽電池で走る模型が発売された。カバヤ食品からビッグワンガムが発売された。
脚注
- ^ a b c 岩田 et al. 1994, p. 1.
- ^ 当時は規定により、2名乗車の方が太陽電池の面積を増やすことができた。
論文
- 岩田, 孝弘、宮野, 英世、臼田, 政史、高橋, 俊樹、石野, 康治、五十嵐, 和夫「ソーラー電池動力自動車」(PDF)『Honda R&D Technical Review』第3巻、本田技術研究所、1991年、ISSN 0915-3918。(要登録)
- 岩田, 孝弘、石野, 康治、小笠, 博司、金杉, 克己、林, 清孝、判田, 圭「ソーラー電池動力自動車 1993」(PDF)『Honda R&D Technical Review』第6巻、本田技術研究所、1994年、 ISSN 0915-3918。(要登録)
外部リンク
- Artikel in de Manila Standard, 1 november 1996, via Google News Archive
ホンダ・ドリーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 07:20 UTC 版)
1968年11月9日に盗まれたオートバイである。1968年当時、ホンダドリームは警察の白バイとして採用されていた車種であるため、犯人は当初、この盗難したオートバイを偽装白バイに改造しようとしていた可能性があると推測された。盗難後の走行距離は60キロメートルと短かった。オートバイの持ち主によると、この車体は減速時にノッキングを起こしやすい不具合があったという。犯人は盗難後に試運転を行い、エンジン系の不調に気付いたため、別の車体(ヤマハスポーツ350R1)を入手して偽装白バイに改造したと推理された。
※この「ホンダ・ドリーム」の解説は、「三億円事件」の解説の一部です。
「ホンダ・ドリーム」を含む「三億円事件」の記事については、「三億円事件」の概要を参照ください。
「ホンダ ドリーム」の例文・使い方・用例・文例
- ホンダの創業者本田宗一郎は日本の自動車産業における最も偉大なイノベータの一人だった。
- 彼はホンダの車を買った。
- 新しいトヨタの車は、ホンダの車よりも多く売り上げる
- 褐藻の小規模な科:ホンダワラ
- ホンダワラ類の海藻の塊の中で見つかる素晴らしい形と色の小型の魚
- ホンダワラ属の海藻が密集した西インド諸島からアゾレス諸島までの北大西洋の広大な領域
- 鹿尾菜という,ホンダワラ科の海藻
- ホンダワラという海草
- ホンダは2003年に,アメリカのフォード・モーターとドイツのダイムラークライスラーは,それぞれ2004年に燃料電池車を販売する予定だ。
- ホンダは2003年1月に新型アシモのレンタルを始める。
- トヨタ自動車は10日間,ホンダは9日間の連休を取った。
- トヨタ自動車とホンダは,最新の燃料電池車を展示する。
- ホンダのハイブリッド型シビックは,1か月で 3183台売れた。
- 2000年,ホンダが二足歩行人間型ロボット,ASIMO(アシモ)を発表した時,それは画期的だった。
- ホンダは中国でよく知られているものの,急成長する中国市場で競合するため,同社は強力な高級車ブランドをなお必要としているのだ。
- ホンダが新型アシモを公開
- 東京・青山にあるホンダの本社では,2体のアシモが来客を出迎える。
- ホンダは,アシモが多くのさまざまな人々に適応するように,それらのアシモを実際の環境の中で試しているのだ。
- ホンダのエンジンを搭載し,佐藤琢(たく)磨(ま)選手をトップドライバーに起用して,純和製チームとして始動した。
- ホンダが歩行支援装置を開発
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